カテゴリ:観劇記録( 17 )

京都観世会例会 「田村」 「百万」 「春日龍神」

【性格悪い】
札幌出身の人に敢えて西友偽装肉返金事件とかYOSAKOIソーラン祭りとかの話題を振る。





久々の観能。今回の三曲はいずれも春の季節のお話ということで、この時期の京都に実に似つかわしい。

 2016年3月27日@京都観世会館
 京都観世会三月例会

  田村
   シテ(童子/坂上田村麻呂) 松野浩行
   ワキ(旅僧) 小林努
   ワキツレ(従僧) 有松遼一・岡充
   間(所ノ者) 山本豪一

  狂言
  因幡堂
   シテ(夫) 小笠原匡
   アド(妻) 山本豪一

  百万 法楽之舞
   シテ(百万) 橋本雅夫
   子方 橋本充基
   ワキ(都ノ者) 有松遼一
   ワキツレ(伴ノ者) 小林努・岡充
   間(所ノ者) 小笠原匡

  仕舞
  嵐山 大江泰正
  網之段 浦田保親
  須磨源治 片山伸吾

  春日龍神 龍女之舞
   シテ(尉/龍神) 片山九郎右衛門
   ツレ(竜女) 味方團
   ツレ(男) 橋本忠樹
   ワキ(明恵上人) 殿田謙吉
   ワキツレ(従僧) 平木豊男・則久英志


最初は「田村」。
東国から都に出てきた僧が清水寺に参ると、箒を持って木陰を掃き清めている童子(坂上田村麻呂の化身)に出会う。童子は僧らの求めに応じて清水寺の縁起を語ると寺の田村堂に姿を消す。その夜僧が読経していると田村麻呂の霊が現れ、平城天皇の命によって鈴鹿の鬼神を平らげた様子を再現し、観音の力を讃えて消え去る。
二番目物(修羅物)に分類されますが、「田村」は「屋島」「箙」と並ぶ勝修羅物。私、不覚にも前半睡魔に襲われて大半寝てしまい、中入りからの感想しか書けませんが、絢爛たる若武者姿の田村麻呂が颯爽と、また激しく舞う姿は大層面白く、前段の名所語りを観損ねたのが残念です。ただ、これまで観てきた修羅物(朝長・頼政・通盛)の悲劇性と比べると、どうしても物足りなく思うのが正直なところ。勝修羅には勝修羅の味わいがあるはずなので、もう一度体調の良い時に観たいものです。

狂言は「因幡堂」。
大酒飲みの女房が実家に帰ったのを幸い、暇の状(離縁状)を出した男。さりとて独り身は不自由で、因幡堂に新しい女房を得たいと願を掛ける。怒り狂った女房は、男が因幡堂に籠っていると聞いて、神のお告げとばかりに「西門の階の女を娶れ」と囁く。男が西門に行くと果たして頭から衣を被いだ女がいる。その女を連れ帰り、祝言の酒を飲ませると飲むわ飲むわ・・・
これまで観てきた狂言の中では、「延命袋」と前段がほぼ同じ。落ちは酒乱の妻という設定の因幡堂の方がより哄笑を誘います。普通に考えれば修羅場となるはずだが、大笑いの内に終わるのがなんとも大らかで良い。

さて私にとって3回目となる「百万」。初回も二回目も、そして今回も感じたことだが、どうも私にはこの母子再会のお話に無理があるように思えて仕方がない。演者にとっても観客にとっても人気があるらしく、だからこそわずかな期間に三度も観たわけですが、私には皆さんが感じておられるであろう情趣とか母子の情愛とかいったものを感受する能力が欠けているのだろうか。もしかすると、母子再会とは口実で、その実次から次へと繰り広げられる狂女の舞を楽しむものという考え方もあるだろう。しかしそれなら尚更、見巧者ならぬ身にはハードルの高い話です。音楽でもなんでもそうですが、広く世に知られ親しまれているものには必ずそれなりの理由がある、しかし十回聴いて(観て)ピンとこなければもう自分とは縁がなかったとしか思いようがない。まぁ三回で見切りを附けるのも早すぎるでしょうから、次の機会があればまた観てみようと思います。
そうそう、今回初めて気づいたこと。百万は男から幼子を引き会わされると、それまで被っていた烏帽子を静かに脱いで畳む。百万は、物狂いとして群集の前で踊ることを何度か「恥」と呼んでおり、烏帽子を脱ぐ姿にはこの労苦から解き放たれるという万感の思いが籠っているように見えました。とても重要な所作だと思うのですが、いままで気づかなかったものか、それとも細かい所作は毎度異なっているものなのか。
それはそうと、この能で最も違和感があるのは一回目の感想で「名乗りの遅延」と書いたこと、すなわち「男」が子方から「これなる物狂いをよくよく見候へば。故郷の母にて御入り候。恐れながらよその様にて。問うて給はり候へ。」と言われた男が「これは思いひもよらぬ事を承り候ふものかな。やがて問うて参らせうずるにて候。」と答えながらも結局すぐには名乗らせないこと。なんとも情の無い話だが、そもそもこの男の素性は如何なるものなのか。流派によっては僧とするものもあるようだけれど、通常は「和州三芳野の者」としか分からない。これについて下記のような記載を見つけました(柴田稔氏のブログ)。

http://aobanokai.exblog.jp/17162465/

ここには私見と断りながらも、子方は稚児(=性的な慰み者としての)として僧に売られる為に西大寺で攫われたとし、「男」を人身売買で生計を立てるものと推論しています。これは卓見だと思いますが、この見方に立てば男がなかなか子方の名乗りを上げさせないのも理解しやすい。つまり稚児は男にとっては大切な商品だったのだから、出来ることなら母子がそれと知らず別れてほしい、しかし最後はつい情にほだされ・・・ということだろうと思います。そうなると、殊更に仏典用語が頻発する謡本文も幾分皮肉めいた感じがしなくもないが、これ以上のことは本文に即した分析が必要であり、私の手には余るので止めておきます。

仕舞は三番。三者三様それぞれの味わいがあるような気がします。「須磨源氏」は派手さは微塵もないがシテの台詞が多くて興味深い。源氏に因んだ能の中では比較的上演の機会が少ないようですが、全編を観てみたい。尚、「網之段」とは「桜川」の中のシテ(狂女)の舞であるとのこと。

最後は「春日龍神」。
高山寺の高僧明恵上人は仏道を極めるために入唐渡天の志を抱く。春日明神に暇乞いの挨拶にいくと、宮守(実は明神の使い)が、釈迦入滅の後は春日山こそ霊鷲山(りょうじゅせん)というべきであり、わざわざ天竺に渡るには及ばぬ。むしろ明恵と解脱上人(貞慶)を両の腕とも左右の目とも頼んでおられる神慮に背くことになろうと話す。上人が思いとどまると宮守は喜び、三笠の山に釈迦の誕生から入滅まで天竺の様子を映してみせようと言って姿を消す。やがて春日の野山が金色に染まると龍女、ついで龍神が百千眷属を引き連れて現れ、宮守の言葉通り辺りは天竺に変じて釈迦の生涯を写し、龍神は上人の翻意を確かめて去っていく。
素人と笑われようが、やはり龍神鬼神の類が出てくる能は理屈抜きに面白い。前段でいろいろお話のディティールがあるものの、全ては後段のスペクタクルな愉しみのためのものといった感じがします。三笠の山に釈迦の生涯を映すなど、まるで現代のプロジェクションマッピングそのものだし、八大龍神が百千眷属引き連れて現れるというのも実に壮大。龍女と龍神それぞれが舞うというのも、言葉の生み出すイメージに現実の舞台が負けないための工夫だろうと思います。最初(田村)少し寝てしまい、途中(百万)よく分からぬまま見ていたのだが終わり良ければすべて良し。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2016-03-28 23:00 | 観劇記録 | Comments(0)

井上同門定期能 「熊野」 「邯鄲」

電車ん中でジジイ二人が映画「ホースの拡張」が面白いという話をしていた。そんなん拡張したらホースが覚醒するかも。





興行の世界では二八(にっぱち)は客の入りが悪いというけれど、この日の観世会館も客が少なくてがらがらでした。決して演目の所為ではないと思うのですが。

 2016年2月13日@京都観世会館
 井上同門定期能二月公演

  熊野
   シテ(熊野) 浅井通昭
   ツレ(朝顔) 吉浪壽晃
   ワキ(平宗盛) 有松遼一
   ワキツレ(従者) 原陸

  狂言
  清水
   シテ(太郎冠者) 小笠原匡
   アド(主人) 山本豪一

  仕舞
   弓八幡 井上裕久
   雲林院クセ 大江又三郎

  邯鄲
   シテ(盧生) 吉田篤史
   ワキ(勅使) 原大
   子方(舞童) 吉田和史
   ワキツレ(大臣) 岡充
   輿舁 小林努・原陸
   間(宿ノ女主) 小笠原匡


まずは「熊野(ゆや)」から。
平宗盛の寵愛を得て都に囲われていた熊野は、病の母を見舞うために暇を乞うが許してもらえない。母の手紙を携えて京に上った侍女朝顔を伴い、改めて暇を乞うも宗盛はこれを許さず、熊野を連れて花見に出かけ舞を舞わせる。熊野が涙ながらに舞うと俄かに村雨となり、熊野は「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」と詠むと、さすがの宗盛もあわれに思い、熊野の帰郷を許すのだった。
開演前のお話で、古来この能が「熊野松風、米の飯」と言われるほど飽きがこないものとして親しまれてきたこと、複式夢幻能の形をとることの多い三番目物にあって珍しく現在物であり、空間は自由に移り変わるも時間はまっすぐ流れていること、舞台に花見車が出されて以降、今を盛りの桜の華やかさと熊野の悲しみのコントラストを味わうべきものであることなどが話されました。しかし、この能で最も不可解なのは、なぜこれほど宗盛がこの日の花見にこだわったのかということ。
ワキの宗盛といえば以前に「頼政」の観能記でも少し書いたとおり後世の評価は暗愚で横暴な男というものだろう。度重なる暇乞いを許さないのも宗盛の狭量とわがままというのが最も素直な解釈なのかも知れません。しかし、殆ど「対決」といってもよさそうな以下の会話を見ると、そう簡単に割り切れないような気がします。

シテ「今はかやうに候へば。御暇を賜はり。東に下り候ふべし。
ワキ詞「老母の痛はりはさる事なれどもさりながら。この春ばかりの花見の友。いかで見すて給ふべき。
シテ「御ことばをかへせば恐なれども。花は春あらば今に限るべからず。これはあだなる玉の緒の。永き別となりやせん。たゞ御暇を賜はり候へ。
ワキ「いやいや左様に心よわき。身に任せてはかなふまじ。いかにも心を慰めの。花見の車同車にて。ともに心を慰まんと。
地歌「牛飼車寄せよとて。牛飼車寄せよとて。これも思の家の内。はや御出と勧むれど。心は先に行きかぬる。足弱車の力なき花見なりけり。

「この春ばかりの花見の友。いかで見すて給ふべき。」という宗盛の詞は受取りようによっては美に対する純粋さとも思われ、熊野の「花は春あらば今に限るべからず。」という詞が逆に身もふたもなく現実的に聞こえてしまうということはないでしょうか。満開の桜の下で愛人が舞うところをどうしても見たい、そのためならば女の母の病など気に掛けるまでもないというのは、ある意味唯美主義の極端な表現とも思われます。だから、最後に宗盛が熊野の暇を許すのは、決して情にほだされたからというのではなく、桜と舞という美の絶頂のみならず、思いがけずも驟雨によって一切の美が滅んでゆくそのさま(滅びの美)までも目の当たりにして、もう当座は思い残すこともないと思ったからではないか。
妄想と片づけられるのを承知でこんなことを書いたのも、定家を持ち出すまでもなくこのような唯美主義的な芸術というのはあきらかに存在するし、中世の美意識の結晶でもある能楽にその反映が見られても不思議でもなんでもないだろうと思ったから。
そういった感想を抱いて、改めて三島由紀夫の『熊野』(近代能楽集より)を読んだのですが、熊野(作中ではユヤという表記)は徹底的に戯画化されていると同時に、宗盛(実業家の男)に焦点があてられるというか、作家的興味が注がれている、という風に感じられ、前段で書いたことにもどことなく通じるものがあるように思いました。若いころに読んでいまひとつよく分からなかった作品ですが、五十も半ばになって読むと実に面白く、宗盛の傲岸不遜と裏腹の孤独であるとかが実によく感じ取れるのでした。舞台を観て上のようなことをつらつら書いたのも、随分前に三島を読んだ記憶がどこかに残っていたのかも知れません。

狂言は「清水」。
最近茶の湯に凝っている主人が、野中の清水を汲んでくるよう太郎冠者に言いつける。太郎冠者はこんな仕事をしょっちゅう言いつけられては敵わん、と主人が大切にしている手桶を壊し、野中に鬼が出たと嘘をいう。主人が自ら手桶を探しに清水に向かうと、太郎冠者は鬼の面を着けて先回りする。鬼は主人を脅かしながら、太郎冠者には酒を飲ませろだの、寝るときは蚊帳を吊ってやれなどと言いたい放題。一度は騙された主人だが鬼の正体に気付き、逃げる太郎冠者を追っていく。
他愛ないといえば他愛ないのですが良く出来たお話だと思います。ただ今回の演者はすこし真面目すぎて哄笑には今一つ至らずという感じもしました。くすっと笑うレベルから腹を抱えて笑うレベルまでの、どのあたりに狂言の笑というものが位置するのかよく分かりませんが、本来もっと笑える出し物ではないかと思いました。

仕舞は二番。雲林院は実に動きの少ない舞で、素人目にはすこし退屈に見えるけれども、こういったものこそ能で観て、また仕舞で観て、と繰り返し味わってみたい。

最後は「邯鄲」。
蜀の国の青年盧生(廬生)は、人生の何たるかを知ろうと楚の国の高僧を訪ねる旅に出る。途中邯鄲の里で、悟りを開くという不思議な枕をして眠りに就くと、たちまち国王の勅使が現れ、盧生は王位を譲られる。栄華のうちに五十年が経過し、一千歳までも命を伸ぶるという仙薬を飲んで舞ううちに目が醒める。すると先ほどの旅の宿で、寝る前に支度していた粟飯が炊けたところであった。一切の空しさを知った盧生は枕に感謝し、国に帰っていく。
一瞬の内に50年の歳月が経過し、また戻ってくる時間軸の自在さ。簡素な作り物が旅の宿にもなれば国王の玉座にもなる空間の自在さ。夢から覚める直前、舞台にいた大臣と子方が掻き消えるように、橋掛りではなく切戸口に飛び込むところ等々、まさに能ならではの目を見張る面白さだと思いますが、さきほどの「熊野」に倣って敢えて争点を探すなら、結局盧生は何を求めて旅をし、一炊の夢で何を得たのか、これが実は分かりにくい。
能の台詞ではこのように述べられています。

シテ「つらつら人間の。有様を。案ずるに。
地「百年の歓楽も。命終れば夢ぞかし。五十年の栄花こそ。身の為にはこれまでなり。栄花の望も齢の長さも。五十年の歓楽も。王位になれば。これまでなりげに。何事も一炊の夢。
シテ「南無三宝南無三宝。
地「よくよく思へば出離を求むる。知識はこの枕なり。げに有難や。邯鄲のげに有難や邯鄲の。夢の世ぞと悟り得て。望かなへて帰りけり。

「世の儚さを知る」というけれど、盧生が知りたかったことはそのことなのか。またこの後、盧生は国許でどのような人生を送るのか。結局現代の我々にはほとんど何も分からないといったほうがよさそうです。
おそらく能「邯鄲」を観て三島も同じことを考えたのでしょう。彼の近代能楽集の一篇『邯鄲』では、若くしてあらゆる欲望のつまらなさを知ってしまい、邯鄲の夢を見ても何ら影響を受けることはないと豪語する青年が現れます。彼は夢の中で美女を侍らせ、実業家として成功し、とうとう国家元首にまでなるが、大抵の事は秘書や官僚がそつなくこなし、普段はといえば専ら影武者が用事を済ませるので本人は夢の中でも寝たままである。見かねた夢の住人に服毒自殺を進められた青年はこれを激しく拒否。初めて生きたいという思いを得て目が覚めると、草木も枯れていた宿の庭に一斉に四季の花が咲いており、青年はそれからずっとその宿で暮らそうと思う、というもの。
ここには三島独特の生に対するシニカルな態度と、それを超えて生きようとする意志が見て取れるが、基本的には時間と空間の自在さへの演劇的興味と、実はこの能が何物をも伝えようとしていないことを逆手に取った一瞬の諧謔という感じもします。「近代能楽集」を三島の作品の中でも重要なものと考える立場に異を唱えるつもりはありませんが、これらの作品を例えば『遠乗会』のような、淡い水彩画のような(だが何の教訓も含まれていない)短編になぞらえて読み返してみるのも一興かと思った次第。

今回はたまたま二曲の演目のどちらも三島が翻案していたことで脱線だらけの観能記になってしまいましたが、日本の古典芸能に関して博覧強記の三島が、数ある能のなかからどのような基準で8編を選び出したのか、端無くもすこしだけその答えに近づいたような気がします。たまにはこういった楽しみ方もいいのではないでしょうか。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2016-02-16 23:56 | 観劇記録 | Comments(0)

京都観世会例会 「翁」 「鶴亀」 「葛城」 「乱」

先日「ちゃちゃ入れマンデー」という関西ローカル番組を観ていたら、岸和田の局地的ヒット食品ということで、ソース焼きそばを生卵につけて食べる、というのをやってた。私、堺の南の方の出身だが、確かに幼少期にこれ食べてました(近所の個人経営のお好み焼き屋で)。だいたい岸和田近辺、堺の南端から泉佐野にかけては文化圏としてはとても近い。普通に美味かったと思うのだが、家人は「えーっ!?」という反応でした。




今年初めての能鑑賞。満席とはいかないものの、なかなかの盛況でした。

 2016年1月17日@京都観世会館
 京都観世会一月例会

  
   翁: 観世清和
   面箱: 鹿島俊裕
   千歳: 河村和晃
   三番叟: 井上松次郎

  鶴亀
   シテ(皇帝): 林喜右衛門
   ツレ(鶴): 河村浩太郎
   ツレ(亀): 松野浩行
   ワキ(大臣): 殿田謙吉
   ワキツレ(従臣): 大日方寛・則久英志
   間(官人): 佐藤友彦

  狂言
  鬼瓦
   シテ(大名): 井上松次郎
   アド(太郎冠者): 鹿島俊裕

  仕舞  
  高砂  井上裕久
  梅キリ  梅田邦久

  葛城大和舞
   シテ(里女・葛城ノ神): 浦田保浩
   ワキ(山伏): 室生欣哉
   ワキツレ(山伏): 則久英志・大日方寛
   間(里人): 松田高義

  仕舞
  屋島  片岡九郎右衛門
  雲林院クセ  大江又三郎
  鞍馬天狗  杉浦豊彦
 

  
   シテ(猩々): 田茂井廣道
   ワキ(高風): 岡充


「翁」を観るのは昨年の1月に次いで二回目。その時にブログに書いたことは繰り返さないが、やはり年の初めに相応しい出し物だと思います。見所の出入り口が閉ざされ、揚幕の内外で切り火が切られてから、演者らが舞台に揃うまで、緊張感が極限にまで高められる。3人の小鼓が勇壮に鳴りだすと、今度は貯まりに貯まったエネルギーが一気に開放される感じ。この緊張と緩和のコントラストの強烈さがなにより快いものでした。三番三の舞は昨年観たときほどの感興は得られませんでした。演者の恰幅が良すぎて、少し息が上がってしまったのが少し興醒めではありました。

「翁」の次はそのまま「鶴亀」に続きます。
唐土の都の初春、皇帝のもとに大臣らが集い、鶴亀の舞を勧める。鶴と亀が現れて舞うと、たいそう感興を催された皇帝は玉座を降り自らも舞う。
官人の短い口上に続く大臣の奏上の場は極めて短く、すぐに鶴亀の舞と皇帝の舞が続くという簡素な筋立て。きらびやかな装束と優雅な舞をただひたすら楽しめばよいのでしょう。シテ(皇帝)の林喜右衛門は、歌舞伎であれば女形タイプの、武張ったところの全くないほっそりとした体形をされているので、ことさら戦乱とは無縁の泰平の世を感じさせるところが実に面白く感じられました。

狂言は「鬼瓦」。
ながらく訴訟の為に国元を離れていた大名、めでたく片が付いて暇をもらい国に戻ることになる。せっかくだというので太郎冠者を引き連れて薬師如来にお礼旁参詣することに。大名はお堂の鬼瓦を見て急に泣き出す。太郎冠者が訳を尋ねると、鬼瓦の小鼻が張ったところや大きく裂けた口を見て国元の妻を思い出したという。いや、確かに、云々と言いながらどのみち程なく会えるだろうと二人して大笑い。
女房の容姿というのは現代でもお笑いのネタではありますが、ここでは国元に残してきた妻への懐かしさがまず先にあるので嫌味なく笑い興じることができます。

仕舞は都合五番。仕舞は仕舞の良さがあると思いますが、観能を重ねるに連れて元の能を見ているケースが増えてくると(今回で言えば高砂・梅・鞍馬天狗)、能と仕舞の比較など前は知らなかった楽しみもでてきます。また、基本的に初春を寿ぐことに特化した番組で、「屋島」という修羅物が入っているのもアクセントになっていていい感じ。ただ今回の仕舞では梅田邦久が以前拝見したときから比べると立居にすこし高齢ゆえの覚束なさが感じられ、心から楽しむという訳に行きませんでした。

次に「葛城」。これも一昨年の暮れに一度観てブログにも取り上げたので、物語等は省略。体調の所為もあって前半少しうとうとしてしまいました。後半、雪の庵から現れた葛城山の女神は十分美しいけれど、最初に見たときの、雪明りを眼前にするかと思われたほどの驚きは得られませんでした。同じ能を観ても都度印象が変わることは当然といえば当然。本来ならその違いについてこそ詳述したいところだが、今回は前半かなり意識が飛んでいるので割愛します。

切能は「乱(みだれ)」、元々は「猩々」という能だが、中之舞が猩々乱になると小書ではなくて題名自体が「乱」に変わってしまうということらしい。
古の唐土、揚子の里に高風という親孝行な男がいたが、ある夜の夢のお告げ通り市で酒を売るようになると次第に富貴の身になった。そのころ、市の立つたびに酒を買いに来る客がいたが、いくら飲んでも面色が変わらない。不思議に思った高風が名を尋ねると、自分は海中に住む猩々であると正体を明かして姿を消す。夜になり、高風が潯陽の江で酒を用意して待っていると猩々が現れ、酒を飲んで舞う。猩々は高風が「御身心すなほなるにより」、汲めども尽きぬ酒壺を与える。
ワキ(高風)の口上で前段がさっと語られるとすぐに赤頭の猩々が現れて舞う。音をならさず足拍子を踏む、頭を何度も振る、波を蹴散らしてあるくような足の捌きかた(乱足)など、特徴的な舞が続き、ほどよいところでさっと終わる。そもそも猩々とはなにか、などと考えるネタはいくらでもあるが、とにかく派手な舞台に身を見張っていればそれでいいのかな、と思います。目出度い内容で、謡の最後も「尽きせぬ宿こそ。めでたけれ。」で終わるので附祝言はなし。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2016-01-24 00:39 | 観劇記録 | Comments(0)

片山定期能 「通盛」 「海士」

池井戸潤と井戸田潤がどうしてもごっちゃになってしまう。





今年の能の見納めです。
2015年12月13日@京都観世会館
片山定期能十二月公演

 通盛
  シテ(浦の老人/平通盛の霊) 分林道治
  ツレ(浦の女/小宰相局の霊) 武田大志
  ワキ(僧) 小林努
  ワキツレ(従僧) 有松遼一
  アイ(浦の男) 山口耕道

 仕舞
  白楽天 橋本忠樹
  龍田キリ 梅田嘉宏
  鳥追舟 青木道喜
  碇潜(いかりかづき) 味方玄

 狂言
 棒縛
  シテ(太郎冠者) 茂山良暢
  アド(主) 岡村宏懇
  アド(次郎冠者) 新島健人

 仕舞
 定家 片山九郎右衛門

 海士懐中之舞
  シテ(海人の女/龍女(房前の母の霊)) 片山伸吾
  子方(藤原房前) 片山峻佑
  ワキ(従者) 江崎欽次朗
  ワキツレ(従者) 和田英基・松本義昭
  アイ(浦の男) 茂山良暢


まずは「通盛」(みちもり)から。
阿波国鳴門にて、平家の一門を弔う旅の僧のもとに、浦の老人と女(実は通盛とその妻、小宰相局の亡霊)が釣舟に乗って現れる。女は、通盛の討死を知った小宰相局が鳴門で入水したことを話すと、自ら老人ともども海に飛び込んで消えてしまう。その夜、僧たちの読経に誘われる如く、通盛と小宰相局の霊がふたたび現れ、戦の前の夫婦の語らいもそこそこに、後ろ髪を引かれる思いで出陣し、敵と刺し違えて修羅道に堕ちた経緯を語るのだった。
二番目物ですが、シテの妻が出てくることで格段に見どころの多い曲となっています。前半は小宰相局の入水の件が中心。舞台には篝火を焚いた釣舟の作り物が出され、乳母らの制止を振り切って入水する場では、思いの外の素早さで小舟から歩み出てしゃがみこみ、立ち上がって橋懸りから消えていく。本当に一瞬の所作ですが、切々たる台詞や地謡と相俟って、予めこうなると分かっていても衝撃を受けます。

ツレ「さる程に小宰相の局乳母を近づけ。
二人「いかに何とか思ふ。我頼もしき人々は都に留まり。通盛は討たれぬ。誰を頼みてながらふべき。此海に沈まんとて。主従泣く泣く手を取り組み舟端に臨み。
ツレ「さるにてもあの海にこそ沈まうずらめ。
地下歌「沈むべき身の心にや。涙の兼ねて浮ぶらん。
上歌「西はと問へば月の入る。其方も見えず大方の。春の夜や霞むらん涙もともに曇るらん。乳母泣く泣く取り付きて。此時の物思君一人に限らず。思し召し止り給へと御衣の袖に取り付くを。振り切り海に入ると見て老人も同じ満汐の。底の水屑となりにけり。

後半はまず別れを惜しむ夫婦の語らいが、出陣を急く声によって中断される件。この直前、鼓が沈黙して、笛のみ前後と打って変わって静かに叙情的な一節を吹くのが大変印象的。

通盛も其随一たりしが。忍んで我が陣に帰り。小宰相の局に向ひ。
クセ「既に軍。明日にきはまりぬ。痛はしや御身は通盛ならで此うちに頼むべき人なし。我ともかくもなるならば。都に帰り忘れずは。亡き跡弔ひてたび給へ。名残をしみの御盃。通盛酌を取り。指す盃の宵の間も。転寝なりし睦言は。たとへば唐土の。項羽高祖の攻を受け。数行虞氏が。涙も是にはいかで増るべき。燈火暗うして。月の光にさし向ひ。語り慰む所に。
シテ「舎弟の能登の守。
地「早甲胃をよろひつゝ。通盛は何くにぞ。など遅なはり給ふぞと。呼ばはりし其声の。あら恥かしや能登の守。我が弟といひながら。他人より猶恥かしや。暇申してさらばとて。行くも行かれぬ一の谷の。所から須磨の山の。後髪ぞ引かるゝ。

夫婦の別れが、かくも美しく簡潔な言葉の連なりで表現されるとは。私は思わず三島由紀夫の「憂国」を思い出してしまったほど。因みにここに出てくる「たとへば唐土の」以下は和漢朗詠集の中の
 「燈暗うして數行虞氏(すかうぐし)が涙、
 夜深(ふ)けぬれば四面楚歌の聲」
を引用したもの。
ともあれその後、通盛は太刀を持って、近江国木村源吾重章と刺し違えて討死する。
私が二番目物(修羅物)の能を観るのは「朝長」「頼政」に次いで三回目ですが、必要最小限の所作と、多くは平家物語から引いたと思しい言葉の力によって、眼前に合戦の状況がありありと浮かぶ様には驚きを禁じえません。本当に類まれな演劇であると思います。

狂言は「棒縛」。
ある主人、用事で家を留守にするのだが、出掛ける度に甕の酒が減ることに腹立たしい思いをしている。主人は太郎冠者を呼ぶと、次郎冠者が酒を盗むので懲らしめるといい、次郎冠者をおだてて棒術を披露させるうちに両腕を棒縛りにする。次いで太郎冠者も気を許した隙に主人に後ろ手を縛られてしまう。主人が出かけると、両手を縛られた二人は助け合って知恵を絞って酒を盗み飲み、酔っぱらってしまう。そこに主人が戻ってきて・・・。
この一年ほど、いろんな狂言を観てきましたが、太郎冠者次郎冠者が登場するのは他になかったような気がします。狂言の典型だと思っていたのだが意外にそうでもないのか、あるいは典型的すぎて却って演目としては避けられるのか。いずれにしても理屈抜きで笑えるものです。今回は深刻な内容の能に挟まれて、この単純な哄笑が所を得ていたように思いますが、実は能を観始める以前に、機会があって渋谷のセルリアンタワー能楽堂で観た「棒縛」のほうがもっと腹の底から笑わせてもらったような気がします。今回の演者は達者だけれど、すこし硬さが感じられたように思いました。

仕舞は都合五番。ついこの間「白楽天」の仕舞を観たばかりなので比較するのも楽しい(どちらがどうとは分かりませんが)。「碇潜」からの仕舞は難度が高そうだが、気品の感じられる舞姿でとても気に入りました。

最後は「海士」(あま)。
淡海公(藤原不比等)の子、房前(ふさざき)大臣は、讃岐国志度浦で亡くなったという母の菩提を弔いに彼の地に下向してくる。そこに浦の海女(実は大臣の母の亡霊)が現れ、大臣に語りかける。遡ること十三年前、淡海公は、龍神に奪われた唐土伝来の宝の珠を求めて志度浦に来たが、地元の海女と契りを結んで一子を設ける。淡海公は海女に、龍宮の珠を取ってきたならばこの子を世継ぎにしようと持ちかけると、わが子の為ならば何の命が惜しかろうと彼女は海に潜る。果たして龍宮の珠を奪い返すと、自分の乳の下を切り裂いて珠を埋め込み、血の穢れを嫌う龍や鰐の追手を逃れるが、公に珠を渡してこと切れたという。我こそその時の海女の霊だと明かした女は、龍女の姿で再び我が子たる大臣の前に現れ、ありがたい経文を手渡して成仏するのだった。
お話はご覧のとおり大変無理のある、荒唐無稽といっても良いものですが、子方の演じる房前大臣と亡き母との交流の切なさ、珠を龍宮から奪う件の凄惨な描写など、見どころ多く人気のある出し物のようです。それにしても、乳の下をかき切るなどと言っても、実際の所作は左の胸のあたりに手を置くだけ、だったりするので、これは是非とも謡曲の詩句を学んでから観るべき演目という感じがします。テキストは二番目物のそれに比べるとやや難解。しかし経典の詩句がそのまま出てくるような箇所を除いて、少しでも事前にテキストを読んでおけば、台詞であれ地謡であれ概ね聞き取れるはず。きめ細やかに描かれた母の情、あるいは水底に広がる龍宮の情景など、所作と囃子と言葉の三つの要素が密接に結び合わされて初めて、荒唐無稽から人の胸を抉る真実の舞台へと昇華するものであると思います。

地「かくて龍宮にいたりて宮中を見れば其高さ。三十丈の玉塔に。かの珠を籠めおき香花を供へ守護神は。八龍並み居たり其外悪魚鰐の口。逃れ難しや我が命。さすが恩愛の故郷の方ぞ恋しき。あの波の彼方にぞ。我が子はあるらん父大臣もおはすらん。さるにても此侭に。別れはてなん悲しさよと涙ぐみて立ちしが又思ひ切りて手を合わせ。南無や志度寺の観音薩埵(さつた)の力を合はせてたび給へとて。大悲の利剣を額に当て龍宮の中に飛び入れば。左右へばつとぞ退いたりける其隙に。宝珠を盗みとつて。逃げんとすれば。守護神おつかくかねてたくみし事なれば。持ちたる剣を取り直し。乳(ち)の下をかき切り珠を押し籠め剣を捨てゝぞ伏したりける。

今回の上演は、つい先週「鞍馬天狗」で牛若を演じた子方、片山峻祐と信吾氏の親子共演ということでしたが、やはり他に得難い子方でしょうね。聞けば小学校5年生ということで、子方が務まるのもあとわずか。声変わりが終わった後は本格的な若手能役者として活躍されるに違いありません。
by nekomatalistener | 2015-12-17 00:07 | 観劇記録 | Comments(0)

林定期能 「江口」 「鞍馬天狗」

能「鞍馬天狗」、河村晴道氏が最初の解説で「恋慕の情」などと仰るので思わず
鞍馬天狗「ウホッ」牛若丸「アッー!」な展開を想像。





林定期能の本年の納会ということもあって、客席はほぼ満員、補助席も出ていました。和服姿のご婦人多数、まことにけっこうな光景です。

 2015年12月6日@京都観世会館
 林定期能

  江口
   シテ(里女、江口君) 河村晴久
   ワキ(僧) 福王和幸
   ワキツレ(僧) 中村宜成・廣谷和夫
   ツレ(侍女) 樹下千慧・松野浩行
   間(所の者) 茂山千三郎

  狂言  
  二九十八
   シテ(男) 茂山あきら
   アド(妻) 丸石やすし

  仕舞
   白楽天 河村和重
   葛城 味方健
   籠太鼓 林喜右衛門
   車僧 片山伸吾

  鞍馬天狗
   シテ(山伏、大天狗) 林宗一郎
   子方(牛若) 片山峻佑
   ワキ(僧) 岡充
   間(能力) 茂山逸平
   間(木葉天狗) 丸石やすし・鈴木実・茂山千三郎


「江口」を観るのは7月(片山定期能)に次いで2回目。観た感想もそんなに変わらなくて、「長い・・・」というもの(優に2時間は掛かっていたと思う)。でも不思議と眠くもならず、退屈というのとも違う。前回、遊女が普賢菩薩に変じるためにこの長い時間が必要なのかも、といったことを書いたが、本当のところはどうだろうか。シテの舞は日頃の厳しい修練を感じさせるものの、わずかに上体がぶれる瞬間が何度かあり、本当の意味での美しさ、余計なものをそぎ落としたあとに残る色気のようなものを感じるには至らなかったというのが正直なところ。もしそうでなければ、体感時間も少し変わってきたような気がします。

前に「江口」を鑑賞した際に、中世における遊女という存在がどのようなものであったか、気になりつつも付け焼刃であれこれ述べることを差し控えました。その時書きたかったことというのは、遊女が普賢菩薩に変化(へんげ)するというのはどうことなのか、当時の遊女というものにどの程度の聖性が認められていたのか、といったことでしたが、その後、11世紀の中頃、平安末期に藤原明衡によって書かれた「新猿楽記」を読んで、すこし謎が解けたような気がしています(以下の引用は東洋文庫「新猿楽記」川口久雄訳注による)。この「新猿楽記」のなかに遊女である十六君という人物について書かれた段があるのだが、そこには

十六ノ君ハ、遊女夜発(ウカラメヤハツ)ノ長者、江口河尻ノ好色ナリ。
(十六の君は、遊女や夜発などといった川船宿の女たちの女主人であり、遊女のたまり場である江口や河尻の中でも名の通った美女である。)

とあって、観阿弥の時代(「江口」は観阿弥作世阿弥改作と云われている)とは300年ほども開いているのだが、江口という地名が中世において「遊女の里」として広く知られていたことが分かります。
肝心の遊女の描写は、

昼ハ簦(ヒカサ)ヲ荷ツテ、身ヲ上下ノ倫(トモガラ)ニ任セ、夜ハ舷(フナバタ)ヲ叩ヒテ、心ヲ往還ノ客(マラウト)ニ懸ク。抑モ淫奔徴嬖(テウヘイ)ノ行、偃仰養風(エンギヤウヤウフウ)ノ態(ワザ)、琴絃麦歯(キムゲムバクシ)ノ徳、龍飛虎歩(リヨウヒコホ)ノ用、具セズトイフコトナシ。
(昼は、大笠をかついでいって、日傘の陰で身分の上下を問わず男たちにその身を任せる。夜は夜で、船に乗って、水の上で船端を叩いて、淀の河口を往来する旅人たちに想いを懸ける。そもそも、この女は、相手をえらばず淫欲にふけり情事をほしいままにし、わざを尽して、伏臥したり仰臥したりして養生の道を尽す。琴絃・麦歯の名器をもって、龍飛・虎歩の房事を行うのに、至らざるなしといわれる。)

とあり、そこには殊更遊女を美化したり神聖視したりする態度は皆無、むしろあけすけな、露悪的な描写が続いています(ちなみに詳細を極める注釈によれば琴絃・麦歯とはいずれも女陰の謂、龍飛・虎歩は体位の一種のようだ)。
遊女というものがこのように見られていたからこそ、能「江口」における普賢菩薩への変化というものがある種の驚きをもって人々に迎えられたという仮説が成り立ちます。もちろんそれは能「江口」の固有の特色ではなくて仏教全般に関わる問題かも知れませんが、中世の遊女像がある程度はっきりすることで、一見とりとめもないお話が観る者に新たな側面を見せるような気がします。

ついでながら、引用した「新猿楽記」だが、別に好色文学というのではなくて、どちらかといえば今でいう「風俗リポート」に近いような気もしますが、二十も年下の男と結婚して、六十になるというのに旦那の浮気に狂わんばかりの女(第一の本の妻)やら、どうしようもなく素行が悪いのだが、唯一の取り柄が大きな陰茎という男(十四の御許の夫)など、表向きの歴史が決して教えてくれない中世の風俗が活き活きと、また猥雑に描かれていて貴重な文献であると思います。生憎絶版のようだが、大きめの図書館には必ずあるでしょうから興味がおありでしたら是非。


次に狂言「ニ九十八」。
この狂言、そんなに込み入った話でもないのだが、おおよそ前後に内容が分かれているように思います。前半は、ある男が妻を得たいと思い立ち、清水寺に願掛けをすると、西門の階(きざはし)にいる女こそお前の妻となる者だとのお告げを得る。はたしてその場所に被き(かずき)を被った女がいる。男が住まいを尋ねると答えを謎解きに込めた歌を詠みかける。町名まで分かって何軒めかと尋ねたところ「にく」と女は返事して消えるが、男は室町の十八軒目だろうと見当をつける。後半はその住まいを男が訪ねると件の女が待っている。被きを被ったまま祝言の杯をかわしたところで素顔を見ると、これがとんでもない醜女。男はなんとかして逃げ出そうとするが・・・。
現代人の感覚からすると、前半の頓智はちょっと笑いにはつながりません。後半は後半で、不細工な女を嗤うというのがちょっとアレな感じ。「三人片輪」ほどじゃないにしても日常的な演目としてはだんだんとやりにくくなるタイプの出し物なのでしょう。

仕舞は四番。最初の「白楽天」を舞った河村和重は名人といってよいのでしょうね。体の内から力が漲るような舞には言葉を失う思いでした。

最後に「鞍馬天狗」。
この演目、季節としては花見の頃なのだが、大勢の子方が賑やかに、また微笑ましく登場すること、お話しは実に単純明快しかも牛若丸のエピソードであること、子方とはいえ、源氏の人質としての身の上を嘆く牛若の台詞が胸にぐっとくること、天狗の舞が華々しいこと等々、年の瀬の納会にもぴったりな演目だと思いました。
さる僧が大勢の稚児たちを連れて鞍馬山に花見にやってくる。そこに見慣れぬ山伏が禁制を破って我が物顔に入り込む。気色ばむ能力(のうりき)を制して、僧と稚児たちはその場を離れる。稚児の内、一人の少年がその場に残る。その稚児こそ遮那王すなわち牛若丸、後の義経。栄華を極める平家の一門にあって辛い立場を味わっていた牛若に山伏は深く同情し、我こそは鞍馬の大天狗と正体を明かす。大天狗は少年に秘伝の兵法を伝え、かならず平家をほろぼすよう励ますのだった。

実に見どころのおおい演目ですが、なんといっても素晴らしいのは、一人居残った牛若と天狗の対話。

シテ詞「いかに申し候。唯今の児達は皆々御帰り候ふに。何とて御一人是には御座候ふぞ。
子方詞「さん候唯今の児達は平家の一門。中にも安芸の守清盛が子供たるにより。一寺の賞翫他山のおぼえ時の花たり。みづからも同山には候へども。よろづ面目もなき事どもにて。月にも花にも捨てられて候。
シテ「あら痛はしや候。さすがに和上臈は。常磐腹には三男。毘沙門の沙の字をかたどり。御名をも沙那
王殿と付け申す。あら痛はしや御身を知れば。所も鞍馬の木蔭の月。
地「見る人もなき山里の桜花。よその散りなん後にこそ。咲かばさくべきにあら痛はしの御事や。

この後、天狗はやさしく牛若に手を添え、各地の桜を(おそらくは空中を飛んで愛宕に吉野に・・・と瞬時に連れまわすという見立てで)牛若に見せる。控えめながらその所作、またやや先立つ地謡「御物笑の種蒔くや。言の葉しげき恋草の。老をな隔てそ垣穂の梅さてこそ花の情なれ。花に三春の約あり。人に一夜を馴れそめて。後いかならんうちつけに心空に楢柴の。馴れは増らで恋のまさらん悔しさよ。」と、そこはかとなく少年愛の気配が漂う。
手下の木葉天狗たちが長刀の稽古をするという奇天烈な中入りの後、天狗から兵法を授かるべく、牛若は凛々しく薙刀の稽古の装束で現れる。テキストには、
子方一声「さても沙那王がいでたちには。肌には薄花桜の単に。顕紋紗の直垂の。露を結んで肩にかけ。白糸の腹巻白柄の長刀。
地「たとへば天魔鬼神なりとも。さこそ嵐の山桜。はなやかなりける出立かな。
云々と記されていて、なんというか、稚児趣味ここに極まれりという感じがしますね。私はショタコンではないのだが、牛若というのが如何に中世の人々の性的ファンタジーをそそる存在であったか、ということは容易に想像がつく(弁慶とのエピソードなどもそういった文脈で語られるべきものかもしれません)。
後半は天狗の勇壮な舞が置かれていて、切能としての面白さにも溢れています。天狗が牛若に語る長良と黄石公の逸話は史記に出てくるとのこと。
子方の片山峻佑は立派に役をつとめていました。台詞も多く、薙刀をもって舞う場面もあり、なかなか大変な役だろうと思います。片山峻佑、伸吾氏のご子息とのこと。いまどきの子には珍しいほどの凛々しい姿を見ているとふと「絶滅危惧種」という言葉が浮かんでしまいました。精進して立派な役者に育ってほしいと思います。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-12-10 00:06 | 観劇記録 | Comments(0)

井上同門定期能 「井筒」 「菊慈童」

ハロウィンで仮装しとる若い連中をみてお嘆きのご同輩も大勢おられることと思いますが、こういう宗教的無節操(寛容というのとは違うけど)のおかげで、この国は大したテロもなく戦争にもならずに70年やってこれたってのはあると思うなぁ。





久々の観能。

 2015年10月31日@京都観世会館
 井上同門定期能

  井筒
   シテ(里女・有常ノ女) 吉田篤史
   ワキ(旅僧) 原大
   間(里人) 茂山正邦

  狂言
  延命袋
   シテ(男) 茂山七五三
   アド(女房) 丸石やすし
   アド(太郎冠者) 茂山童司

  仕舞
  通小町 井上裕久
  花筐 大江又三郎

  菊慈童遊舞之楽
   シテ(慈童) 浦部好弘
   ワキ(勅使) 江崎正左衛門
   ワキツレ(従臣) 和田英基・江崎欽次朗


今回の演目のつながり、「井筒」の井戸の作り物には芒の穂があしらわれ、「菊慈童」はもちろん菊ということで、どちらも秋に相応しいということでしょうか。

まずは「井筒」。
旅の僧が初瀬参りの途中、櫟本(いちのもと)の在原寺で在原業平の墓に回向する一人の女に出会う。女は自分は紀有常の女(むすめ)と名乗り姿を消す。在所の物に尋ねると、幼馴染であった業平と有常の女はやがて夫婦となったといい、伊勢物語に記された筒井筒のエピソードを語る。その夜、供養のために逗留した僧のもとに有常の女の霊が現れ、唐衣の上に業平の衣装をまとい、巻纓冠(けんえいのかん)を着けて舞う。やがて女は井戸を覗き込むと、そこに映る姿を見て夫をなつかしみ、夜明けとともに姿を消す。
中入りでアイの語る物語は伊勢物語の筒井筒段そのものですが、伊勢物語のほうがこの一組の男女について「ゐなかわたらひしける人の子ども」と書かれているのを在原業平と紀有常女に置き換えています。その他は能のテキストも伊勢物語から引いた詩句が多く、テキストに登場する6首の歌、すなわち
 風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらん
 筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
 くらべこし振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰があぐべき
 あだなりと 名にこそ立てれ 櫻花 年に稀なる 人も待ちけり
 梓弓 真弓槻弓年を経て 我がせしがごと うるはしみせよ
 月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして
はすべてそのままの形で、あるいはすこし形を変えて取り込まれています。お話は分かりやすく、これといって大きな事件もおこらずひたすら優美な舞が続くのだが、終わってみると1時間50分ほど掛かっている。実にこれが長いような短いような、不思議な時間感覚(ところどころ睡魔に襲われて余りえらそうなことは言えませんが)。最後の部分、
(地)亡婦魄霊(ばうふはくれい)に姿はしぼめる花の。色なうて匂。残りて在原の寺の鐘もほのぼのと。明くれば古寺の松風や芭蕉葉(ばせうは)の夢も。破れて覚めにけり夢は破れ明けにけり。
はまさに神韻縹渺として、これこそいわゆる幽玄というものか、と少し分かった風なことを考えた次第。

次いで狂言。
ある男、女房が用あって実家に帰ったのを幸い、暇(いとま)の状(=離縁状)をしたため太郎冠者に持っていかせる。これを見て怒り狂った女房、慌てて夫の下に戻るも男の心は変わらない。女房、近頃都では女を離縁するときは気に入った家財を渡すものだといって、あれがほしいこれもほしいと言う。男もそれで離縁できるなら家財の一つや二つ、なんの惜しいことがあるものか、と思っていると、女は大きな袋を男の頭からすっぽり被せ、むりやり男を引っ張っていく。
お話を字にするとなかなか上手く伝わらないかも知れませんが、これは本当に面白く大笑いできるものでした。特に脇役ながら女房の八つ当たりを恐れて主の指図を断ろうとする太郎冠者と、ヒステリックなようでいて実は知恵ものという女房の人物造形がなかなか素晴らしいものでした。

仕舞は二番。よく分からないながらも、「通小町」のほうが立ち姿がすっと美しい感じがして、最後まで飽きずに見ておりました。それとくらべると「花筐」のほうはもう少し自由というか、だからという訳ではないでしょうが、仕舞の中ほどで何度かシテの台詞が入るのだが一ヶ所間違えて地謡の方から訂正されておりました。

最後に「菊慈童」。
魏の文帝の家臣が、不老長寿の水の流れる酈縣山(れっけんさん)の水上を見てまいれとの命をうけてやってくる。そこは桃源郷さながら菊が咲き乱れ、粗末な庵には周の穆王(ぼくわう)の慈童を名乗る少年が住んでいる。家臣は周と魏では七百年もの開きがあることを訝る。童子はかつて帝の枕を跨いだ咎でこの山中に追放となったが、不憫に思った穆王から偈(げ、経文の詩句)を記した枕を下される。童子が菊の葉にこの偈を書き写すと、そこからこぼれた露が流れとなり、霊水とも美酒ともなって不老長寿の身となったのだという。慈童はひとしきり舞を披露すると、この命を時の帝に捧げて姿を消す。
いったい室町時代の人々にとって周や魏の故事がどれほど身近であったのかよく分かりませんが、この元ネタは太平記の巻十三にあるとのこと。さっそく調べてみると、下記のような記述がありました。
爰に慈童君の恩命に任て、毎朝に一反此文を唱けるが、若忘もやせんずらんと思ければ、側なる菊の下葉に此文を書付けり。其より此菊の葉にをける下露、僅に落て流るゝ谷の水に滴りけるが、其水皆天の霊薬と成る。慈童渇に臨で是を飲に、水の味天の甘露の如にして、恰百味の珍に勝れり。加之天人花を捧て来り、鬼神手を束て奉仕しける間、敢て虎狼悪獣の恐無して、却て換骨羽化の仙人と成る。是のみならず、此谷の流の末を汲で飲ける民三百余家、皆病即消滅して不老不死の上寿を保てり。其後時代推移て、八百余年まで慈童猶少年の貌有て、更に衰老の姿なし。魏の文帝の時、彭祖と名を替て、此術を文帝に授奉る。文帝是を受て菊花の盃を伝へて、万年の寿を被成。今の重陽の宴是也。
重陽の起源をwikipediaで見ると全く違う逸話があって混乱しますが、いずれにしても太平記は当時武士階級の教養の書でもあり、そこに書かれた逸話はそこそこのポピュラリティを得ていたとみてよいのでしょう。
この曲、もともと前段があったらしいのですが、現在の観世流では後段のみとなっているようだ。そのせいで時間的にはコンパクト、追放された経緯もそこそこに舞がはじまります。舞台には菊をあしらった台座に帝から賜った枕が置かれており、童子は舞った後に枕を手にして感慨にふける。遊舞之楽という小書がつくと囃子がより軽快になるとのことだが、太鼓も入っての囃子は軽快というよりもむしろ勇壮な感じ。その割には舞はあまり激しさのないものだが、目にも耳にも十分に面白く感じられました。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-11-04 00:22 | 観劇記録 | Comments(0)

観世青年研究能公演 「半蔀」 「舎利」

先日、某国大使館主催のパーティーで中野良子さんを目撃。でも一瞬白石加代子かと思ったでござる。





世の中には驚くほど多趣味な人というのもいますが、私はどちらかといえば狭く深くのタイプなのか、あれもこれもというのが苦手。一昨年単身生活を終えたのを機にピアノを再開し、特にこの数ヶ月それなりに時間を割いていたところブログの更新が目に見えて減ってしまいました。最近はCDも殆ど聴いてなくて、youtubeで次何を弾こうかな、とあれこれ齧りながら物色の日々。ま、たぶん今しか出来ないこともあるので一向に構わないのですが・・・。

さて一か月ぶりの観能。今回は「半蔀」と「舎利」。その取り合わせの理由を考えてもよく分かりません。相互の関連はあんまりなさそうです。

 2015年8月9日@京都観世会館
 観世青年研究能

 半蔀
  シテ(里女・夕顔女)  河村和貴
  ワキ(僧)  岡充
  間(所の者)  松本薫

 狂言
 柿山伏
  シテ(山伏)  島田洋海
  アド(畑主)  松本薫

 仕舞
 賀茂  大江広祐
 女郎花  林宗一郎

 舎利
  シテ(里人・足疾鬼)  樹下千慧
  ワキ(旅僧)  有松遼一
  ツレ(韋駄天)  河村和晃
  間(能力)  山下守之


まずは「半蔀(はじとみ)」。
紫野雲林院の僧が立花供養をしようとしていると一人の女が現れ、夕顔の花を手向けて姿を消す。里の者から、源氏と情を通じた夕顔が六条御息所の生霊に取り殺されたという話を聞いた僧は、女の供養のために夕顔の住いのあった五条辺りに赴く。そこに夕顔の霊が現れ、舞を舞った後、半蔀の内に消え去る。
私が以前観た「夕顔」とほとんど同工異曲ですが、いくつか違いもあります。女の語りが中心となる「夕顔」は、源氏物語に取材した怪異譚の趣があって、演劇として上手くまとまっている感じがするのに対し、「半蔀」の方は「草木国土悉皆成仏」こそが中心的なテーマであって、あくまでも主役は地味で儚い夕顔の花そのもの、源氏とのエピソードはやや取ってつけた感じがしました。こんなことを書いたのも、「半蔀」で舞っているのは誰なのか、もともと人間としての肉体を持っていた夕顔と呼ばれる女なのか、夕顔の名の謂れとなった軒先の花の精なのか、という事を考えていたからなのですが、結論としては仮に人間の形をとった花の精であると考えるのが妥当でしょう。
後段の舞は「夕顔」と同じく、悠揚迫らざるイロエで、ちょっと長く感じました。私の素養の無さなのかも知れませんが、以前「葛城」を観たとき中入り後の舞を本当に美しいと感じたこともあるので、どうしても「本当はもっと凄いのではないか」と疑ってしまうのです。これは演者を貶しているのではなくて、演者にとって芸の完成というものが無いのと同様に、観る者にとっても今自分が観ているものは本来もっと優れたものなのではないか、それを知る者を見巧者というのではないか、という自問をすべきだと思うから。もっともこれは、一生掛けて解決できるかどうか、といった問題なのかも知れません。

狂言は「柿山伏」。お話は以前にも書いたので省略。狂言においては当たり前のことなのでしょうが、以前観たときと台詞や所作の細かいところがかなり異なるように思いました。山伏役の島田洋海は演技がやや生硬な感じがしましたが、山伏が柿の木を飛び降りてから追い込みまでは今回の方がより分かりやすく可笑しいものでした。

仕舞は「賀茂」「女郎花」の二番。相変わらず仕舞のことはよく判りませんが、「賀茂」は以前に能として観ているので幾分馴染みがあるような気がしました。

最後は「舎利」。
出雲国美保の関の僧が上洛し、泉涌寺(せんにゅじ)に収められた仏舎利をありがたく拝んでいると、一人の里人が現れる。僧が「仏舎利を拝まん為ならば。同じ心ぞ我も旅人。」と里人を招き入れると、里人は鬼の形相となり舎利を収めた厨子を奪い去る。僧は寺男より、釈迦入滅の折り、足疾鬼(そくしっき)が仏の歯を抜いて持ち去ろうとしたところ、韋駄天が現れて取り返したという話を聞く。僧が祈ると、舎利容器を手にした足疾鬼と韋駄天が現れ、激しく戦ったのち足疾鬼は力尽き、韋駄天は舎利を取り戻す。
こちらは派手な二人舞のスペクタクルな愉しみがすべてであって、物語は完全にダシにされている感じがします。だがこれも大切な能の愉しみ。どんなに荒唐無稽であっても面白いものは面白い。
舞台の上には上面に緋毛氈、側面に金糸の紋縁をあしらった台座が置かれ、舎利殿に見立てる。その上に厨子。厨子の頂部には火焔宝珠型の舎利容器。面のことは私はよく判りませんが、前シテは黒頭に怪士(あやかし)、後シテは赤頭に顰(しかみ)でしょうか。韋駄天は天神の面というのが決まりごとのようです。囃子の激しさはこれまで観てきた切能の中でも抜きんでています。以前「翁」の囃子をクセナキスの「アイス」Aïsに譬えたことがあったが、こちらはさしずめ「プサッファ」Psapphaだろうか。音楽劇としてみても実に面白いものでした。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-08-13 00:19 | 観劇記録 | Comments(0)

片山定期能 「江口」 「野守」

さるアマチュアの室内楽グループに参加した時のこと。当日の演目が黒板にチョークで書いてあって、遠目に見るとハイドンやモーツァルトに並んで「ポケモン大王」と書いてある。ん?と思って近寄ると、「ボワモルティエ 2つのチェロのためのソナタ」と書いてありました。空目にしても酷い。





ごくゆっくりしたペースで観てきた能も、なんだかんだで10回目。身近に感想を語り合う人もおらず、なかなか観方が深まっていかないきらいはあるのですが、相変わらず素人目で感想を綴っていきます。

 2015年7月11日@京都観世会館
 片山定期能

 江口  
  シテ(里の女・江口君の霊)  古橋正邦
  後ツレ(遊女の霊)  橋本忠樹・片山伸吾
  ワキ(旅僧)  福王知登
  ワキツレ(従僧)  中村宜成・喜多雅人
  アイ(江口の里人)  野村又三郎

 仕舞
 春日龍神  武田大志
 蝉丸  橋本礒道
 邯鄲アト  大江信行
 天鼓  清沢一政

 狂言
 鏡男
  シテ(松ノ山家の男)  野村又三郎
  アド(道具屋の亭主)  松田高義
  アド(妻)  野口隆行

 仕舞
 大江山  林喜右衛門
 女郎花(おみなめし)  片山九郎右衛門

 野守黒頭  
  シテ(尉・鬼神)  河村博重
  ワキ(山伏)  江崎欽次朗
  アイ(春日野の里人)  野口隆行
  (ワキツレ2人番組に記載なし)


まずは「江口」。
天王寺に参ろうとする旅の僧の一行が江口の里にやってくる。そこで、昔西行法師が一夜の宿を求めて断られたという故事を語っていると、里の女が現れ、遊女故に法師を泊めることをはばかられたのだという話をし、自分こそは江口の君の幽霊であると告げて姿を消す。供養のために逗留した僧たちのまえに川船に乗った江口の霊が現れ、舞を舞ううちに船は白象となり、江口は普賢菩薩に変じて西の空に消えていく。
何と言っても興味深いのは中世における遊女とはいかなる存在であったのか、ということ。少なくとも江戸時代の太夫や花魁などとはかなり異なった存在であったようです。だが俄仕込みの知識でこの話題に深入りするのは止めておきましょう。
西行法師と江口のやりとりというのは、西行の「世の中を厭うまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」という歌に対して江口君が「世を厭う人とし聞けば仮の宿に心とむなと思うばかりぞ」と返したことを指しています。しかし後半は物語の重要性はやや後退して、ひたすらゆったりとした舞が続くという体裁になっています。ことばも前半は比較的平易というか、耳で聴いても分かりやすい詩句であるのに対して、中入りの後は美文調とでもいうべき導入に続いて、和漢朗詠集から引かれたと思しい漢籍調の詩句が続き、少なくとも漢文の素養に乏しい現代人にはなかなか理解が難しい。

クセ「紅花の春の朝。紅錦繍の山粧なすと見えしも。夕の風に誘はれ紅葉の秋の夕。黄纐纈の林。色を含むといへども朝の霜にうつろふ。松風羅月に言葉をかはす賓客も。去つて来る事なし。翠帳紅閨に。枕をならべし妹背もいつのまにかは隔つらん。凡そ心なき草木。情ある人倫いづれ哀を遁るべき。かくは思ひ知りながら。
シテ「ある時は色に染み貪着の思浅からず。
地「又ある時は。声を聞き愛執の心いと深き心に思ひ口に言ふ妄舌の縁となるものを。実にや皆人は六塵の境に迷ひ六根の罪を作る事も。見る事聞く事に。迷ふ心なるべし。

言葉の難しさもさることながら、大した物語が展開する訳でもないのにおよそ2時間の大曲。この日は何時にもまして欧米からの観光客や学生さんが多かったのですが、私が心配するのも変な話ですがこの長さと、気の遠くなるようなゆっくりとした舞に怖気づいたりはしなかったか、少々気になります。しかし如何に敷居が高いものになろうとも、この日常生活とはかけ離れた時間感覚こそが大切なのだろうと思います。それはあたかも、遊女が菩薩に変じるために必要な時間であるかのようでした。

狂言は「鏡男」。
訴訟ごとで都に長逗留していた男が、田舎の妻への土産に鏡を買って帰る。鏡など見たこともない女房は、そこに女の顔が映るのをみて、夫が女を連れて帰ったと思い怒り出す。男は女房を宥めようとして、女房に寄り添い自らも鏡に映りこむが、これまた夫が見知らぬ女に寄り添ったの、恐ろしい顔で女が睨んでいるのと狂乱の体。逃げ出す夫を女房が追いかけて終わる。
いくら大昔だからといって、果たして鏡の何たるかもわからないような人がいたのかどうかよく分かりません。少なくとも現代人を腹の底から笑わせるには高度な技芸が必要な感じがします。今回シテを演じた野村又三郎の芸がすばらしく、なかなか愉快な出し物になっていたのはさすがだと思いました。

仕舞は都合六番。例によってあれこれ巧拙をあげつらうことはできませんが、やはり私のような初心者には最初の春日龍神の激しい舞を若い演者が颯爽と舞うのが大変気持ちの良いものだと思いました。

最後は狂言と同じく鏡が重要なモチーフとなる能「野守」。
出羽国の山伏の一行が大和の春日大社の近く、飛火野にやってくる。そこで野守の老人に近くの池の由来を尋ねると、老人曰くこれは「野守の鏡」といい、昔帝が鷹狩をされた際、行方をくらました鷹が池水に映るのを見て無事これを取戻したという。また池の水ではなく本当の鏡はこの塚にすむ鬼が持っているという話をし、老人は姿を消す。この野守こそ塚に住む鬼であると知った山伏のもとに、鏡を手に恐ろしい形相の鬼が現れる。鬼の鏡には天上から地獄まで森羅万象が映っており、山伏にそれを見せたのち、大地を割って鬼は姿を消す。
お話の元ネタとしては「俊頼髄脳」などがあるそうですが、やや無理のあるお話の展開を追うよりは、中入りの後の、鬼の勇壮な舞を楽しむところに眼目があるのでしょう。しかし、これまで私が見てきた鬼神や怪物の類が活躍する演目、鵺や雷電とくらべても何となくおとなしめ(太鼓を含む囃子は十分に勇壮なのだが)。演者の所為なのか、それともそもそも人に危害を加えぬ鬼というのが矛盾した存在だというのか。なんだかよく分からない内に終わってしまった感じがします。しかし、

地「さて又大地をかがみ見れば。
シテ「まづ地獄道。
地「まづは地獄の有様を現す。一面八丈の浄玻璃の鏡となつて。罪の軽重罪人の呵責。打つや鉄杖の数々。悉く見えたりさてこそ鬼神に横道を正す。明鏡の宝なれ。すはや地獄に帰るぞとて。大地をかつぱと蹈みならし。大地をかつぱと蹈破つて。奈落の底にぞ入りにける。

といった台詞を読んでいると、もっとスケールの大きな上演というのもあり得るような気がしてきました。これは機会があればもう一度観てみたい演目です。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-07-14 23:07 | 観劇記録 | Comments(0)

吉浪壽晃 能の会 「望月」

若き日のフィッシャーディースカウの歌う「魔王」。
https://www.youtube.com/watch?v=5XP5RP6OEJI
なんど観ても素晴らしい歌唱なんだけど、なんとなくタカアンドトシのタカ(ライオンのワッペンのほう)が中に入ってるような気がして、イマイチ感動しないの。




公私ともに何となく余裕のない生活を送っており、ブログの更新も滞りがち。このひと月ほど、CDもあまり聴いていません。Youtubeであれこれつまみ食いはしてるけれども、私の場合、やはり真剣に聴くのは身銭を切って買った音源。もう少しすれば生活が落ち着くと思うのですが。
そんな訳で、観能後一週間以上ほったらかしになっていましたが、せっかくマメに附けてきた観能記録、気を取り直して書き記しておきます。

 2015年6月21日@京都観世会館
 吉浪壽晃 能の会

 舞囃子
  花筐  井上裕久

 仕舞
  放下僧小歌  井上裕之真
  富士太鼓 勝部延和
  歌占キリ  吉井基晴

 望月
  シテ(小澤刑部友房)  吉浪壽晃
  ワキ(望月秋長)  福王和幸
  ツレ(安田友治の妻)  深野貴彦
  子方(花若)  吉浪和紗
  間(従者)  松本薫


今回はじめて拝見した「吉浪壽晃 能の会」、能は「望月」のみ、あとは舞囃子と仕舞で狂言もなし、ちょっとコスパが悪い感じ。
舞囃子については、以前「頼政」のそれを観て、「きっと謡や踊りの稽古をされている方や、玄人筋の、見巧者の方であればとても面白いのだろう。しかし(中略)悲しいかな素人である私にはなかなかハードルが高いといわざるを得ません。」云々と書いたのと同様の感想を持ちました。「花筐」といえば継体天皇をめぐる王朝絵巻といった物語ですが、紋付き袴ではなかなかその華やかさがイメージできないのですね。仕舞も同様ですが、とりあえず訳が分からなくとも見て目を肥やせばいいか、と思いながら何ヶ月か経ちましたが、そろそろ舞の型のことなど少し勉強したほうが良いのかも知れません。

後半は「望月」。
近江国守山で宿屋を営む亭主のもとに幼子をつれた旅の女が一夜の宿を借りにやってくる。実は亭主は小澤刑部友房、母子は友房の元主君で望月秋長に殺された安田の荘司友治の妻と遺児花若であった。三人涙ながらに再会を喜び合っていた折も折、偶然にも望月と従者が信濃国に下向する途中宿にやってくる。亭主や母子の素性に気付かない望月のもとに、盲御前(=瞽女)を装った母子が近づき、謡や舞を披露する。最後に亭主が余興に獅子舞を舞い、望月が気を許した隙をみて亭主と花若が刀を抜いて友治の仇を討つのであった。
こういった、亡霊や鬼神の類ではなくて生身の人間が主役の能を現在物というそうだ。めずらしくシテが面を着けず、台詞のほとんどが謡を伴わない素の台詞であることなど、興味深い諸点はいろいろとあるようですが、この能の魅力はなんといっても花若を演じる子方(子役)のかわいらしさと、子役ながら結構な長さの八撥舞を舞うひたむきさを愛でるところにあります。今回の子方はシテを務める吉浪壽晃氏の愛娘とのことですが、立派に大役を務めあげていたと思います。
また、この芝居でもっとも緊迫する一瞬、望月の眼前で気が昂った花若が思わず「いざ討とう」と叫び、望月と従者が反射的に刀に手を掛ける場面は、友房、望月、従者の連携のとれた所作と台詞が素晴らしく、結末は分かっていても思わず手に汗を握る緊迫感を味わいました。

子方詞「いざ討たう。
狂言「おう討たうとは。
シテ「暫く候。何事を御騒ぎ候ふぞ。
狂言「御用心の時分にて候ふに。是なる幼き者がいざ討たうと申し候ふ程に候ふよ。
シテ「子細を御存じ候はぬ程に尤にて候。此者の謡を申したる後にては。また幼き者八撥を打ち候。其八撥を打たうずると申す事にて候。
狂言「日本一の事頓て打たせうずるにて候。いかに申し上げ候。これなる幼き者が八撥を打つべきよしを申し候。
ワキ「急いで打たせ候へ。

物語もわかりやすく、見どころの多い能であると思いますが、素の台詞が多いので非常に演劇的、もっといえば近代的な感じがします。その反面、能のゆったりとしたテンポにはすこしそぐわないような感じも。例えば物着の間、アイの語りが短くて芝居の流れがどうしても停滞する。宿の座敷を渡り歩く見立てで、シテとツレが橋掛かりと舞台をしばしば往ったり来たりする間が、やけに長く感じられるのも同様。了見違いかも知れませんが、能としてのこなれ具合がちょっと足りないのかな、といった風に思いました。
しかしこんなことは、子役が一生懸命舞を舞うのを見ていると些末なことに思えてきます。お話のどうしようもないほどのご都合主義も同様。今回の舞台では最後にシテが獅子舞の途中で懐に隠し持った刀を落とすといった、小さな事故もあったが、それもこれも子方に免じてよしとしましょう。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-06-30 01:01 | 観劇記録 | Comments(0)

金剛定期能 「頼政」 「杜若」

ドゥダメルっていい指揮者だとおもうけど、なんかインパルス板倉がヅラ被って振ってるみたいにみえるんだよなぁ。
https://www.youtube.com/watch?v=VjRo4uoCjxw



今回初めて金剛能楽堂に行ってきました。昭和の香りのする観世会館より新しい分、とてもきれいだけど正面席の大部分が会員席になっているのがビギナーには何となく敷居が高い感じ(会員席に座ってる人たちのおかげで興行が成り立っているのだから仕方ないけど)。

 
 2015年5月24日@金剛能楽堂
 金剛定期能

 仕舞
  富士山 宇高竜成
  高野物狂 豊嶋三千春
  熊坂 廣田泰能

 頼政
  シテ(老人・頼政) 松野恭憲
  ワキ(旅の僧) 高安勝久
  ワキツレ(僧の従者) 小林努・有松遼一
  間(里の者) 茂山逸平

 狂言
 柿山伏
  シテ(山伏) 茂山良暢
  アド(柿の木の主) 山口耕道

 仕舞
  隅田川 金剛永謹

 杜若
  シテ(里の女・杜若の精) 金剛龍謹
  ワキ(旅の僧) 福王知登


今回の演目に特段の共通点があるとは思いませんが、頼政の謀反が5月ということで初夏繋がりということのようです。まずは「頼政」から。
旅の僧が宇治を訪れ、里の老人に名所旧跡の案内を請う。老人は僧を平等院の庭に連れて行き、かつて謀反を起こした源三位頼政がそこで自害したことを話し、自分はその頼政の亡霊であると告げて姿を消す。その夜、僧のもとに頼政の亡霊が現れ、高倉宮以仁王を唆して謀反を起こそうとしたところ平家の知るところとなり、宇治まで追われて平等院の庭で自害したことを語って姿を消す。
これまで観てきた能の多くは、中入りのアイの語りは概ね前段の繰り返しのような内容が多くて、ちょっと退屈することもありましたが、「頼政」の場合、本編では具体的に触れられていない謀反の原因が詳細に語られ、非常に興味深いものでした。頼政の嫡男仲綱は、平宗盛に請われて愛馬を差し出したが、宗盛はその馬の尻に焼き鏝で仲綱と記して辱めたというもの。これには後日談があって、頼政挙兵の後、スパイとして宗盛に付いた渡辺競(きそう)が、宗盛より下賜された馬にのって源氏の軍勢に戻り、その馬の尻に「宗盛」と焼印し、尾とたてがみを切って宗盛に突き返した、という。当時の武士にとって愛馬を辱められることは最大級の侮辱であったのでしょう。いずれにしても、本編の背景をアイが語ることで、物語がより理解しやすくなるのは言うまでもありません。
見どころの一つと思われるのは、頼政の亡霊は始め、床几に見立てた葛桶に座ったままであったのが、宇治橋の戦いの描写になるとおもわず激して立ち上がるところ。

シテ詞「さる程に源平の兵。宇治川の南北の岸に打ちのぞみ。閧の声矢叫の音。波にたぐへておびたゝし。橋の行桁をへだてて戦ふ。味方には筒井の浄妙。一来法師。敵味方の目を驚かす。かくて平家の大勢。橋は引いたり水は高し。さすが難所の大河なれば。左右なう渡すべきやうも無かつし処に。田原の又太郎忠綱と名のつて。宇治川の先陣我なりと。名のりもあへず三百余騎。地「くつばみを揃へ河水に。少しもためらはず。群れゐる群鳥の翅を並ぶる羽音もかくやと。白波に。ざつざつと。打ち入れて。浮きぬ沈みぬ渡しけり。

先日観た「朝長」もそうだが、こういった戦記物に取材した謡は言葉が分かりやすく、かつ言葉そのものの凄まじい威力が感じられます。舞に関しては、匂い立つような若武者の「朝長」と違ってこちらは老齢の僧形ということで、激しい動きこそないものの、内に滾る憤懣の感じられるものだったと思います。

狂言は「柿山伏」。
山伏が柿の木に登って勝手に柿を食っていると、柿の木の主に見つかってしまう。主は山伏だと気付かないふりをしていたぶってやろうと思い、あれはカラスじゃ、カラスなら鳴いてみよ、と言う。仕方なく山伏が「かぁ」と鳴くと、今度はあれは猿じゃ、というので「きゃっ」、終いにあれは鳶じゃ、鳶なら飛んでみよ、というと山伏は思わず飛び降りて腰をしたたかに打つ。相手にしておられぬと立ち去る主を、看病せいと山伏が追いかける。
ここしばらく、あまり笑えない狂言を見てきましたが、これは多分理屈抜きで誰でも笑える作品でしょう。他愛ないといえばそれまでですが、これが何百年と受け継がれてきたというのもすごい話。流派によっては犬のマネをして「びよ」と鳴くバージョンもあるみたい。

仕舞が都合四番。中では薙刀をもって舞う「熊坂」が目を引きます。「富士山」の宇高竜成も颯爽として印象的。

最後は「杜若」。
旅の僧が三河国八橋(今の知立市)で今を盛りの杜若を眺めていると若い女が現れ、この地で在原業平が有名な「から衣きつつなれにしつましあれば はるばるきぬるたびをしぞ思ふ」という歌を詠んだ話をする。その地に逗留する僧の前に、先ほどの女が、業平の透額の冠をかぶり、業平の愛人二条后高子の唐衣を着て現れる。彼女は業平こそ歌舞の菩薩の化現、その業平に歌を詠みかけられたおかげで草木の身ながらも悉皆成仏の御法を得たことを喜ぶ。
これまで私が見てきた三番目物、「梅」や「遊行柳」と同じく草木の精を主人公とするものですが、どうもこの手の能というのは、つまらないという訳ではないが私は少し苦手な部類かも知れません。本来ならやはりこういった曲というのは、舞のイロハを体で分かってこそ楽しめるものという気がします。時間の感覚が麻痺して気が遠くなるようなイロエを見ていると、私はまだこういった作品の観方というものを全く理解していないという気になります。
ついでながら、先に挙げた「梅」では、その精は若い女、「遊行柳」では老人となっていましたが、「杜若」では若い女でありながらも業平の憑代としても舞うということなのか、意外に力強い舞という感じがしました。足拍子も多く、囃子に太鼓が加わるのもやや意外。
台詞に引用歌が多いのもこういった演目の共通項なのでしょう。先に挙げた伊勢物語からは、他に、
いとどしく過ぎゆくかたの恋ひしきにうらやましくもかへる波かな
信濃なる浅間の嶽(たけ)にたつ煙をちこち人の見やはとがめぬ
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして
の三首が引かれています。また「後撰集」から良岑義方の
いひそめし昔の宿のかきつばた色ばかりこそかたみなりけれ
また「百聯抄解」から「花前蝶舞粉々雪、柳上鶯飛片々金」が引かれています。
最後に一言。演者の巧拙はよく分かりませんが、シテの立ち姿が本当に美しく感じました。ただ立っているだけなのに、微動だにせず凛とした様というのが厳しい鍛錬を感じさせます。いつか舞のことももっと分かればいいと思いますが、いまは焦らず目を肥やしていこうと思います。

蛇足
今回の演目の共通点として初夏繋がり云々と書きましたが、調べてみると頼政は例の鵺退治のあと、褒美として鳥羽院より菖蒲上という女を下されるにあたり、12人の美女の中から選べといわれて「いずれあやめか引きぞわずらふ」と言った、というのがあの「いずれあやめかかきつばた」の謂れだという記事を見つけました。原典の太平記巻二十一にはこんなことが書いてありましたよ。
「誠やらん頼政は、藤壷の菖蒲に心を懸て堪ぬ思に臥沈むなる。今夜の勧賞には、此あやめを下さるべし。但し此女を頼政音にのみ聞て、未目には見ざんなれば、同様なる女房をあまた出して、引煩はゞ、あやめも知ぬ恋をする哉と笑んずるぞ。」と仰られて、後宮三千人の侍女の中より、花を猜み月を妬む程の女房達を、十二人同様に装束せさせて、中々ほのかなる気色もなく、金沙の羅の中にぞ置れける。さて頼政を清涼殿の孫廂へ召れ、更衣を勅使にて、「今夜の抽賞には、浅香の沼のあやめを下さるべし。其手は緩とも、自ら引て我宿の妻と成。」とぞ仰下されける。頼政勅に随て、清涼殿の大床に手をうち懸て候けるが、何も齢二八計なる女房の、みめ貌絵に書共筆も難及程なるが、金翠の装を餝り、桃顔の媚を含で並居たれば、頼政心弥迷ひ目うつろいて、何を菖蒲と可引心地も無りけり。更衣打笑て、「水のまさらば浅香の沼さへまぎるゝ事もこそあれ。」と申されければ、頼政、五月雨に沢辺の真薦水越て何菖蒲と引ぞ煩ふとぞ読たりける。時に近衛関白殿、余の感に堪かねて、自ら立て菖蒲の前の袖を引、「是こそ汝が宿の妻よ。」とて、頼政にこそ下されけれ。」
ま、番組には何の関係もないのでしょうけれど。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-05-26 01:13 | 観劇記録 | Comments(0)