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Olivier Messiaen Complete Editionを聴く(その15)

久々の映画鑑賞でポール・バーホーベンの「エルElle」を観る。イザベラ・ユペール扮するヒロインがレイプ犯を追い詰めるサイコサスペンスかと思ったら、中ほどで犯人があっさり分かってからの全く先が読めない展開が凄い。フェミニストが発狂しそうな描写が山ほどあるけど、多分何を言われても歯牙にもかけなさそうなのが潔い感じ。登場人物でマトモな人間が一人もいないのも笑っちゃうが、特に敬虔なクリスチャンへの悪意がハンパじゃない。おそろしく病んだ物語なのに後味が悪くないのも不思議といや不思議。でも、映画が終わって館内が明るくなった時の、観客のなんともいえない残尿感みたいなもやもやが最も面白かったかも。





メシアンがオルガンのために書いた二つの大作を聴いていきます。かたや戦後の前衛の旗手であった頃の作品、もう一つは晩年の作品です。


 CD12/13
 オルガンの書(1950)
 聖体秘蹟の書(1984)

 オリヴィエ・ラトリー(org)
 2000年7月パリ・ノートルダムで録音


私はどうもメシアンのオルガン作品が苦手だということは再三書いてきました。1950年に作曲された7曲からなる「オルガンの書」についてもなかなか手強い印象ですが、これまで聴いてきたオルガン曲のなかでは最も面白い作品でした。手元にスコアがないので解説の受売りですが、構成原理としてはヒンドゥーのリズムとセリエリズムと鳥の歌の混合、それがカトリックの教義(楽譜にはコリント人への第一の手紙13:12や、ローマ人への手紙11:36が記されているらしい)と結び付けられているといったところ。確かに、この前後の作品と比べても、というよりメシアンの全ての作品の中でも最も前衛的な作風で、1948~49年あたりの「カンテヨージャーヤー」や「4つのリズムのエチュード」に通じるものがあります。ただ、ピアノと違ってオルガン作品の場合、めくるめくようなヴィルトゥオジテはあまりなく、また人がオルガン作品に期待するような分厚くマッシブな響きはとても少なくて、(激烈な無窮動の第6曲を別とすると)上記の構成原理がむき出しになっているかのような、あるいは点と線だけで書かれたような薄い響きが殊更実験的な印象を強めています。終曲は静謐な印象ながらも複雑なリズムカノンの技法が用いられていて、「音価と強度のモード」でやったことをオルガンで展開しようとしたのかも知れません。数回耳で聴いた程度ではなかなか腹に入らない作品ですが、これは今後何度も聴いてみたいと思います。

1984年の「聖体秘蹟の書」はメシアンの最後のオルガン作品であり、全18曲からなる大曲。その大半はパリのサント・トリニテ教会でのメシアン自身の即興演奏を基にしているといいます。私の苦手意識を横に置いておくと、これはまさにメシアンの生涯に亘るオルガン作曲技法の集大成と呼ぶに相応しいもので、そこには鈍い色彩の油絵のような分厚い和音から、晩年の特色である薄い和声、点と線で書かれたようなテクスチュアまで、さまざまなグラデーションが見られる。また禍々しい不協和な響きからメシアン初期の、あの快楽とも苦痛ともつかない美しくも歪んだ和声、また第16曲のように殆どイージーリスニングと見紛うばかりの甘い和声まで、調性と無調の間のグラデーション、さらにグレゴリオ聖歌風のモノディとホモフォニーの教義問答、徹頭徹尾鳥の歌で構成された楽曲(第15曲)、激烈なトッカータに甘いカンティレーナと、本当に様々な技法が次々と立ち現れるのは壮観という他ありません。しかし、その野放図に伸び広がるゴシック建築みたいな悪趣味ぶりというのは、やはり私にはなかなか素直に受け入れがたい側面もあるのでした。おまけに、18曲それぞれに例によって宗教的な表題がついており、最後まで徹底した宗教オタクであったメシアンは、その点でも私には遠い音楽家であったと言わざるを得ません。もう少し聴き込めば印象も変わるだろうか、と思いながら、なかなか聴き通すのが困難な作品でした。
(この項終り)

by nekomatalistener | 2017-10-08 14:33 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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