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ブゾーニ ヴァイオリンソナタ第2番ホ短調BV.244

アンネ・ゾフィー・フォン・カワウソさん。





今年はブゾーニ生誕150周年。名前だけはそこそこ知られているのに、メモリアル・イヤーなのに、なんか盛り上がらないですね。

 2016年10月8日@カフェ・モンタージュ
 ブゾーニ ヴァイオリンソナタ第2番ホ短調BV244(1900)

 ヴァイオリン: 谷本華子
 ピアノ: 奈良田朋子


ブゾーニの作品で最もよく知られているものと言えば、ロマンティックというか、やたら大仰なバッハのシャコンヌのピアノ独奏用編曲くらいなものでしょうか。だがこの一作でブゾーニについて云々するのはあまりにも気の毒というもの。えらく難しそうなピアノ曲、例えば「対位法的幻想曲」を聴くと、ヒンデミットに通じる様な面白さは感じるけれど、なかなか真面目に聴いてみようとはならないのが辛いところ。この人について何か語るならせめて「アルレッキーノ」「トゥーランドット」「ファウスト博士」の3つのオペラぐらいは聴き込んでからにしたいと思いながらも、あまりの人気のなさに少しはブゾーニ擁護論を書いてみたいという思いを禁じ得ません。
と言う訳で、まったく予備知識なしで聴いたリサイタルでしたが、想像以上に面白く聴きました。カフェ・モンタージュの店主の高田氏の、思い入れのある作品ということで、恒例のトークもいつも以上に長いものでしたが、ちょっと個人的な思いが強すぎるような気がするので、ここに備忘として内容を挙げるのは止めておきましょう。興味のある方は高田さんのツイッターにあれこれ書かれているのでご参考まで。

店主のトークを聴かずとも、この19世紀最後の年に書かれたソナタで、ブゾーニがバッハ以降の200年の音楽的蓄積を総括しようとしたことは明らか。一回聴いただけではなかなか理解できたとは言えないけれど、典型的な動機労作的書法という感じがします。簡潔な提示部というべき第一楽章、嵐のように過ぎ去るプレストの第2楽章、動機があの手この手で展開される長大な第3楽章がattaccaで演奏されます。高田氏も触れていたように、確かにセザール・フランクの影響は顕著だと思いましたが、こういった書法、建築史でいうならネオ・ゴシック様式と時代的にも重なる、ごてごてと暑苦しく書き込まれた書法というのは、リストの1850年代から60年代のある種の作品からの影響が大きいのではないかと思いました。例えば「バッハの『泣き、嘆き、憂い、慄き』による変奏曲」とか「B-A-C-Hの名による幻想曲とフーガ」などがそうですが、中でもリストがマイアベーアのオペラ「預言者」のコラール主題に基いてオルガンのために書いた「『アド・ノス・アド・サルタレム・ウンダム』による幻想曲とフーガ」という作品の長大さ、音楽的な多彩さがふと思い出されたのでした。ブゾーニはこのオルガンのための作品をピアノ独奏用に編曲しており、まさに彼のヴァイオリン・ソナタの源流として相応しい作品であると思います。ちなみにこのリスト=ブゾーニの「アド・ノス・・・」は若き日のモギレフスキーが演奏した素晴らしい録音がありますので、興味のある方は是非お聴きになることをお勧めします。

演奏者の谷本華子、奈良田朋子の両氏についても私は何の予備知識もなく聴いたのですが、素晴らしい演奏であったと思います。30代前半のブゾーニが気負いこんで書いた書法はヴァイオリンもピアノも相当技巧的に困難なはずですが、お二人とも実に危なげのないテクニックで胸のすくような演奏をされていました。また早いパッセージだけでなく、ゆっくりとした部分でのくぐもったような中音域の音色と、輝かしい高音域の対比も魅力的で、決して短くはない作品なのにあっという間に終わってしまったという印象。小さなサロン故、聴衆は30人といったところでしたが、ブゾーニの生誕150周年を祝うに相応しい一夜でした。
(この項終り)

by nekomatalistener | 2016-10-10 15:16 | 演奏会レビュー | Comments(0)
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