電車ん中でジジイ二人が映画「ホースの拡張」が面白いという話をしていた。そんなん拡張したらホースが覚醒するかも。
興行の世界では二八(にっぱち)は客の入りが悪いというけれど、この日の観世会館も客が少なくてがらがらでした。決して演目の所為ではないと思うのですが。 2016年2月13日@京都観世会館 井上同門定期能二月公演 熊野 シテ(熊野) 浅井通昭 ツレ(朝顔) 吉浪壽晃 ワキ(平宗盛) 有松遼一 ワキツレ(従者) 原陸 狂言 清水 シテ(太郎冠者) 小笠原匡 アド(主人) 山本豪一 仕舞 弓八幡 井上裕久 雲林院クセ 大江又三郎 邯鄲 シテ(盧生) 吉田篤史 ワキ(勅使) 原大 子方(舞童) 吉田和史 ワキツレ(大臣) 岡充 輿舁 小林努・原陸 間(宿ノ女主) 小笠原匡 まずは「熊野(ゆや)」から。 平宗盛の寵愛を得て都に囲われていた熊野は、病の母を見舞うために暇を乞うが許してもらえない。母の手紙を携えて京に上った侍女朝顔を伴い、改めて暇を乞うも宗盛はこれを許さず、熊野を連れて花見に出かけ舞を舞わせる。熊野が涙ながらに舞うと俄かに村雨となり、熊野は「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」と詠むと、さすがの宗盛もあわれに思い、熊野の帰郷を許すのだった。 開演前のお話で、古来この能が「熊野松風、米の飯」と言われるほど飽きがこないものとして親しまれてきたこと、複式夢幻能の形をとることの多い三番目物にあって珍しく現在物であり、空間は自由に移り変わるも時間はまっすぐ流れていること、舞台に花見車が出されて以降、今を盛りの桜の華やかさと熊野の悲しみのコントラストを味わうべきものであることなどが話されました。しかし、この能で最も不可解なのは、なぜこれほど宗盛がこの日の花見にこだわったのかということ。 ワキの宗盛といえば以前に「頼政」の観能記でも少し書いたとおり後世の評価は暗愚で横暴な男というものだろう。度重なる暇乞いを許さないのも宗盛の狭量とわがままというのが最も素直な解釈なのかも知れません。しかし、殆ど「対決」といってもよさそうな以下の会話を見ると、そう簡単に割り切れないような気がします。 シテ「今はかやうに候へば。御暇を賜はり。東に下り候ふべし。 ワキ詞「老母の痛はりはさる事なれどもさりながら。この春ばかりの花見の友。いかで見すて給ふべき。 シテ「御ことばをかへせば恐なれども。花は春あらば今に限るべからず。これはあだなる玉の緒の。永き別となりやせん。たゞ御暇を賜はり候へ。 ワキ「いやいや左様に心よわき。身に任せてはかなふまじ。いかにも心を慰めの。花見の車同車にて。ともに心を慰まんと。 地歌「牛飼車寄せよとて。牛飼車寄せよとて。これも思の家の内。はや御出と勧むれど。心は先に行きかぬる。足弱車の力なき花見なりけり。 「この春ばかりの花見の友。いかで見すて給ふべき。」という宗盛の詞は受取りようによっては美に対する純粋さとも思われ、熊野の「花は春あらば今に限るべからず。」という詞が逆に身もふたもなく現実的に聞こえてしまうということはないでしょうか。満開の桜の下で愛人が舞うところをどうしても見たい、そのためならば女の母の病など気に掛けるまでもないというのは、ある意味唯美主義の極端な表現とも思われます。だから、最後に宗盛が熊野の暇を許すのは、決して情にほだされたからというのではなく、桜と舞という美の絶頂のみならず、思いがけずも驟雨によって一切の美が滅んでゆくそのさま(滅びの美)までも目の当たりにして、もう当座は思い残すこともないと思ったからではないか。 妄想と片づけられるのを承知でこんなことを書いたのも、定家を持ち出すまでもなくこのような唯美主義的な芸術というのはあきらかに存在するし、中世の美意識の結晶でもある能楽にその反映が見られても不思議でもなんでもないだろうと思ったから。 そういった感想を抱いて、改めて三島由紀夫の『熊野』(近代能楽集より)を読んだのですが、熊野(作中ではユヤという表記)は徹底的に戯画化されていると同時に、宗盛(実業家の男)に焦点があてられるというか、作家的興味が注がれている、という風に感じられ、前段で書いたことにもどことなく通じるものがあるように思いました。若いころに読んでいまひとつよく分からなかった作品ですが、五十も半ばになって読むと実に面白く、宗盛の傲岸不遜と裏腹の孤独であるとかが実によく感じ取れるのでした。舞台を観て上のようなことをつらつら書いたのも、随分前に三島を読んだ記憶がどこかに残っていたのかも知れません。 狂言は「清水」。 最近茶の湯に凝っている主人が、野中の清水を汲んでくるよう太郎冠者に言いつける。太郎冠者はこんな仕事をしょっちゅう言いつけられては敵わん、と主人が大切にしている手桶を壊し、野中に鬼が出たと嘘をいう。主人が自ら手桶を探しに清水に向かうと、太郎冠者は鬼の面を着けて先回りする。鬼は主人を脅かしながら、太郎冠者には酒を飲ませろだの、寝るときは蚊帳を吊ってやれなどと言いたい放題。一度は騙された主人だが鬼の正体に気付き、逃げる太郎冠者を追っていく。 他愛ないといえば他愛ないのですが良く出来たお話だと思います。ただ今回の演者はすこし真面目すぎて哄笑には今一つ至らずという感じもしました。くすっと笑うレベルから腹を抱えて笑うレベルまでの、どのあたりに狂言の笑というものが位置するのかよく分かりませんが、本来もっと笑える出し物ではないかと思いました。 仕舞は二番。雲林院は実に動きの少ない舞で、素人目にはすこし退屈に見えるけれども、こういったものこそ能で観て、また仕舞で観て、と繰り返し味わってみたい。 最後は「邯鄲」。 蜀の国の青年盧生(廬生)は、人生の何たるかを知ろうと楚の国の高僧を訪ねる旅に出る。途中邯鄲の里で、悟りを開くという不思議な枕をして眠りに就くと、たちまち国王の勅使が現れ、盧生は王位を譲られる。栄華のうちに五十年が経過し、一千歳までも命を伸ぶるという仙薬を飲んで舞ううちに目が醒める。すると先ほどの旅の宿で、寝る前に支度していた粟飯が炊けたところであった。一切の空しさを知った盧生は枕に感謝し、国に帰っていく。 一瞬の内に50年の歳月が経過し、また戻ってくる時間軸の自在さ。簡素な作り物が旅の宿にもなれば国王の玉座にもなる空間の自在さ。夢から覚める直前、舞台にいた大臣と子方が掻き消えるように、橋掛りではなく切戸口に飛び込むところ等々、まさに能ならではの目を見張る面白さだと思いますが、さきほどの「熊野」に倣って敢えて争点を探すなら、結局盧生は何を求めて旅をし、一炊の夢で何を得たのか、これが実は分かりにくい。 能の台詞ではこのように述べられています。 シテ「つらつら人間の。有様を。案ずるに。 地「百年の歓楽も。命終れば夢ぞかし。五十年の栄花こそ。身の為にはこれまでなり。栄花の望も齢の長さも。五十年の歓楽も。王位になれば。これまでなりげに。何事も一炊の夢。 シテ「南無三宝南無三宝。 地「よくよく思へば出離を求むる。知識はこの枕なり。げに有難や。邯鄲のげに有難や邯鄲の。夢の世ぞと悟り得て。望かなへて帰りけり。 「世の儚さを知る」というけれど、盧生が知りたかったことはそのことなのか。またこの後、盧生は国許でどのような人生を送るのか。結局現代の我々にはほとんど何も分からないといったほうがよさそうです。 おそらく能「邯鄲」を観て三島も同じことを考えたのでしょう。彼の近代能楽集の一篇『邯鄲』では、若くしてあらゆる欲望のつまらなさを知ってしまい、邯鄲の夢を見ても何ら影響を受けることはないと豪語する青年が現れます。彼は夢の中で美女を侍らせ、実業家として成功し、とうとう国家元首にまでなるが、大抵の事は秘書や官僚がそつなくこなし、普段はといえば専ら影武者が用事を済ませるので本人は夢の中でも寝たままである。見かねた夢の住人に服毒自殺を進められた青年はこれを激しく拒否。初めて生きたいという思いを得て目が覚めると、草木も枯れていた宿の庭に一斉に四季の花が咲いており、青年はそれからずっとその宿で暮らそうと思う、というもの。 ここには三島独特の生に対するシニカルな態度と、それを超えて生きようとする意志が見て取れるが、基本的には時間と空間の自在さへの演劇的興味と、実はこの能が何物をも伝えようとしていないことを逆手に取った一瞬の諧謔という感じもします。「近代能楽集」を三島の作品の中でも重要なものと考える立場に異を唱えるつもりはありませんが、これらの作品を例えば『遠乗会』のような、淡い水彩画のような(だが何の教訓も含まれていない)短編になぞらえて読み返してみるのも一興かと思った次第。 今回はたまたま二曲の演目のどちらも三島が翻案していたことで脱線だらけの観能記になってしまいましたが、日本の古典芸能に関して博覧強記の三島が、数ある能のなかからどのような基準で8編を選び出したのか、端無くもすこしだけその答えに近づいたような気がします。たまにはこういった楽しみ方もいいのではないでしょうか。 (この項終り)
by nekomatalistener
| 2016-02-16 23:56
| 観劇記録
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