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ヴォーン・ウィリアムズ 「旅の歌」 ~ 藤木大地リサイタル

前回の枕の続き。岸和田の局地的ヒット食品で「からやき」というのをやってたけど、私が幼少期のころ(だいたい大阪万博の前後)、ほぼ同じモノを「洋食焼き」と称して食ってた記憶が・・・あれはなんだったんだろ、と思ってwikipediaをみると、アレはどうも「一銭洋食」とか言われたお好み焼きのルーツみたいなことが書いてある。なんか歳感じるなぁ。ってかあの頃の食生活はふつーに貧しかったのかも。




昨年の11月に京都のバロックザールで藤木大地のリサイタルを聴いたばかりだが、またしても京都で彼の歌を聴く機会を得ました。といっても今回は小さなサロンでピアニストとのジョイント、時間的にもややコンパクトなプログラムであったにも関わらず大変聴き応えのある内容でした。

 2016年1月22日@カフェ・モンタージュ

  加藤昌則 旅のこころ(1998)

  ベートーヴェン ピアノソナタ第17番ニ短調Op.31-2

  ヴォーン・ウィリアムズ 旅の歌(全9曲)

  (アンコール)
  西村朗 木立をめぐる不思議(2015)

  加藤昌則 こもりうた(2005)

  福井文彦 かんぴょう


  カウンターテナー: 藤木大地
  ピアノ: 松本和将

藤木大地の声と表現力の素晴らしさについては昨年11月のリサイタルの時にも書いたので繰り返しませんが、今回は40人も入ればいっぱいになってしまうカフェでのリサイタルなので、よりインティメートな雰囲気を感じることができました。私は2013年のライマン「リア王」で、日生劇場の大ホールを満たす彼の声を聴き、昨年はやや小ぶりなバロックザール、そして今回のカフェと、様々な大きさの箱で聴いてきたわけですが、いずれの場合も声量や表現力にやり過ぎたり足りなかったりということがない。知的なコントロールの賜物ということだと思います。

リサイタルの最初に置かれた加藤昌則の「旅のこころ」、ポップスみたいな感じで軽く聴いていたら、途中から愛する恋人を失った人の歌だということが分かり、ぐっと来る。小手調べどころか、この一曲でこの日のリサイタルが構築しようとしていた世界にいきなり引き込まれてしまいました。こりゃやられたなぁという感じ。
藤木さんが一旦退場してピアノ演奏。カフェの店主が言うには、この日のプログラムのテーマは旅ということでしたが、ベートーヴェンのテンペストと旅の関係については触れずじまい。プロスペローらの旅ということかも知れないがベートーヴェンにはあまり関係のない話。それはともかく、松本和将の演奏、パッションがあふれ出すような気魄のこもった演奏、しかも技巧は確か。些か手垢の附いた感のあるこのソナタに対し、こういうアプローチがあるのか、と目を見開かされた思いがします。私は以前このブログで、イーヴ・ナットの弾くテンペストを聴いて、遊戯性とイタリアオペラの影響という観点からこのソナタを評したことがありました。それは今でも間違っていないと思いますが、この日の演奏はもっと重く、聴き手を解放するというよりも、ぎりぎりと息苦しいまでに追いつめるような演奏。ベートーヴェンの中期の始まりに位置する作品であるということを再認識させられました。正直なところ、藤木大地がメインでピアノは刺身のツマぐらいに思っていたらとんでもなかったということ。蛇足ながら、少しピアノのアクションの整備が足らなかったせいか、ペダルを離す時などに音が軽くビビることが多く耳障りなのが残念でした。

メインは全9曲からなるヴォーン・ウィリアムズの「旅の歌」。20代の終わりから30代の初め頃に書かれたこのRVW版「さすらう若人の歌」、おそらく作曲者の表現したい内容とメチエと年齢が奇跡の様にぴったりと重なった結果だと思うのだが、しみじみと良い曲だと思います。実は私、RVWについては交響曲を幾つか聞いた程度で、エルガーやホルストと並んで私の興味の外にある音楽なのだが、この歌曲集は折に触れて聴きたいと思っています。それにしても藤木の歌は声そのものも表現力も、素晴らしいと思いました。彼の声について、以前にカウンターテナーを聴いて感じる性差の混乱が無いと評したが、あんなに高い声で歌われていながらVagabondの声に相応しく聞こえるというのが不思議です。

ここまでが前もって発表されていた曲目で、ちょっとしたトークを挟んでアンコール。
まず西村朗の「木立をめぐる不思議」は2015年東京オペラシティのB→Cシリーズに藤木が出演した際に委嘱・初演されたものの再演。アンコールといっても12分ぐらい掛かるし、しかも物凄い緊張感に溢れた作品。その作風を一言で言うなら「新・表現主義」といったところでしょうか。歌もピアノも入魂の演奏で、これがプログラムのメインでも不思議でないほど。途中でピアニストがペダルを踏んだまま沈黙すると藤木の声が内部の弦と共鳴し、ざわざわとした響きが立ち昇る。なんという声の威力!私はまるで恐怖を感じたときの様に寒気がしました。
次に加藤昌則の「こもりうた」。これはうってかわって優しく慰撫するような歌。これで終わりかなと思ったらもう一曲。ユーモラスな「かんぴょう」。これが無ければ時間の割にへヴィなこの日のプログラムは閉じられなかったのだろう。前回も感じたことだが、アンコールも含めたプログラムビルディングに工夫の跡があってそれがまた楽しい。
ついでながら、ピアノは前回の中村圭介といい今回の松本和将といい、所謂伴奏ピアニストを遥かに超えたレベルにあります。同世代の彼らの存在は藤木にとっても大きな武器になるだろうと思います。どちらかといえばコンテンポラリー系は中村圭介の方が音の純度が高くて向いているような気がしましたが、RVWには松本和将の骨太さが合っていそう。たまたまなのかプログラムでピアニストを替えているのか分からないけれど、もし歌手が意識的に考えてピアニストを選択しているのなら、それに勝る贅沢はないだろうと思います。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2016-01-26 23:29 | 演奏会レビュー | Comments(0)
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