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金剛定期能 「頼政」 「杜若」

ドゥダメルっていい指揮者だとおもうけど、なんかインパルス板倉がヅラ被って振ってるみたいにみえるんだよなぁ。
https://www.youtube.com/watch?v=VjRo4uoCjxw



今回初めて金剛能楽堂に行ってきました。昭和の香りのする観世会館より新しい分、とてもきれいだけど正面席の大部分が会員席になっているのがビギナーには何となく敷居が高い感じ(会員席に座ってる人たちのおかげで興行が成り立っているのだから仕方ないけど)。

 
 2015年5月24日@金剛能楽堂
 金剛定期能

 仕舞
  富士山 宇高竜成
  高野物狂 豊嶋三千春
  熊坂 廣田泰能

 頼政
  シテ(老人・頼政) 松野恭憲
  ワキ(旅の僧) 高安勝久
  ワキツレ(僧の従者) 小林努・有松遼一
  間(里の者) 茂山逸平

 狂言
 柿山伏
  シテ(山伏) 茂山良暢
  アド(柿の木の主) 山口耕道

 仕舞
  隅田川 金剛永謹

 杜若
  シテ(里の女・杜若の精) 金剛龍謹
  ワキ(旅の僧) 福王知登


今回の演目に特段の共通点があるとは思いませんが、頼政の謀反が5月ということで初夏繋がりということのようです。まずは「頼政」から。
旅の僧が宇治を訪れ、里の老人に名所旧跡の案内を請う。老人は僧を平等院の庭に連れて行き、かつて謀反を起こした源三位頼政がそこで自害したことを話し、自分はその頼政の亡霊であると告げて姿を消す。その夜、僧のもとに頼政の亡霊が現れ、高倉宮以仁王を唆して謀反を起こそうとしたところ平家の知るところとなり、宇治まで追われて平等院の庭で自害したことを語って姿を消す。
これまで観てきた能の多くは、中入りのアイの語りは概ね前段の繰り返しのような内容が多くて、ちょっと退屈することもありましたが、「頼政」の場合、本編では具体的に触れられていない謀反の原因が詳細に語られ、非常に興味深いものでした。頼政の嫡男仲綱は、平宗盛に請われて愛馬を差し出したが、宗盛はその馬の尻に焼き鏝で仲綱と記して辱めたというもの。これには後日談があって、頼政挙兵の後、スパイとして宗盛に付いた渡辺競(きそう)が、宗盛より下賜された馬にのって源氏の軍勢に戻り、その馬の尻に「宗盛」と焼印し、尾とたてがみを切って宗盛に突き返した、という。当時の武士にとって愛馬を辱められることは最大級の侮辱であったのでしょう。いずれにしても、本編の背景をアイが語ることで、物語がより理解しやすくなるのは言うまでもありません。
見どころの一つと思われるのは、頼政の亡霊は始め、床几に見立てた葛桶に座ったままであったのが、宇治橋の戦いの描写になるとおもわず激して立ち上がるところ。

シテ詞「さる程に源平の兵。宇治川の南北の岸に打ちのぞみ。閧の声矢叫の音。波にたぐへておびたゝし。橋の行桁をへだてて戦ふ。味方には筒井の浄妙。一来法師。敵味方の目を驚かす。かくて平家の大勢。橋は引いたり水は高し。さすが難所の大河なれば。左右なう渡すべきやうも無かつし処に。田原の又太郎忠綱と名のつて。宇治川の先陣我なりと。名のりもあへず三百余騎。地「くつばみを揃へ河水に。少しもためらはず。群れゐる群鳥の翅を並ぶる羽音もかくやと。白波に。ざつざつと。打ち入れて。浮きぬ沈みぬ渡しけり。

先日観た「朝長」もそうだが、こういった戦記物に取材した謡は言葉が分かりやすく、かつ言葉そのものの凄まじい威力が感じられます。舞に関しては、匂い立つような若武者の「朝長」と違ってこちらは老齢の僧形ということで、激しい動きこそないものの、内に滾る憤懣の感じられるものだったと思います。

狂言は「柿山伏」。
山伏が柿の木に登って勝手に柿を食っていると、柿の木の主に見つかってしまう。主は山伏だと気付かないふりをしていたぶってやろうと思い、あれはカラスじゃ、カラスなら鳴いてみよ、と言う。仕方なく山伏が「かぁ」と鳴くと、今度はあれは猿じゃ、というので「きゃっ」、終いにあれは鳶じゃ、鳶なら飛んでみよ、というと山伏は思わず飛び降りて腰をしたたかに打つ。相手にしておられぬと立ち去る主を、看病せいと山伏が追いかける。
ここしばらく、あまり笑えない狂言を見てきましたが、これは多分理屈抜きで誰でも笑える作品でしょう。他愛ないといえばそれまでですが、これが何百年と受け継がれてきたというのもすごい話。流派によっては犬のマネをして「びよ」と鳴くバージョンもあるみたい。

仕舞が都合四番。中では薙刀をもって舞う「熊坂」が目を引きます。「富士山」の宇高竜成も颯爽として印象的。

最後は「杜若」。
旅の僧が三河国八橋(今の知立市)で今を盛りの杜若を眺めていると若い女が現れ、この地で在原業平が有名な「から衣きつつなれにしつましあれば はるばるきぬるたびをしぞ思ふ」という歌を詠んだ話をする。その地に逗留する僧の前に、先ほどの女が、業平の透額の冠をかぶり、業平の愛人二条后高子の唐衣を着て現れる。彼女は業平こそ歌舞の菩薩の化現、その業平に歌を詠みかけられたおかげで草木の身ながらも悉皆成仏の御法を得たことを喜ぶ。
これまで私が見てきた三番目物、「梅」や「遊行柳」と同じく草木の精を主人公とするものですが、どうもこの手の能というのは、つまらないという訳ではないが私は少し苦手な部類かも知れません。本来ならやはりこういった曲というのは、舞のイロハを体で分かってこそ楽しめるものという気がします。時間の感覚が麻痺して気が遠くなるようなイロエを見ていると、私はまだこういった作品の観方というものを全く理解していないという気になります。
ついでながら、先に挙げた「梅」では、その精は若い女、「遊行柳」では老人となっていましたが、「杜若」では若い女でありながらも業平の憑代としても舞うということなのか、意外に力強い舞という感じがしました。足拍子も多く、囃子に太鼓が加わるのもやや意外。
台詞に引用歌が多いのもこういった演目の共通項なのでしょう。先に挙げた伊勢物語からは、他に、
いとどしく過ぎゆくかたの恋ひしきにうらやましくもかへる波かな
信濃なる浅間の嶽(たけ)にたつ煙をちこち人の見やはとがめぬ
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして
の三首が引かれています。また「後撰集」から良岑義方の
いひそめし昔の宿のかきつばた色ばかりこそかたみなりけれ
また「百聯抄解」から「花前蝶舞粉々雪、柳上鶯飛片々金」が引かれています。
最後に一言。演者の巧拙はよく分かりませんが、シテの立ち姿が本当に美しく感じました。ただ立っているだけなのに、微動だにせず凛とした様というのが厳しい鍛錬を感じさせます。いつか舞のことももっと分かればいいと思いますが、いまは焦らず目を肥やしていこうと思います。

蛇足
今回の演目の共通点として初夏繋がり云々と書きましたが、調べてみると頼政は例の鵺退治のあと、褒美として鳥羽院より菖蒲上という女を下されるにあたり、12人の美女の中から選べといわれて「いずれあやめか引きぞわずらふ」と言った、というのがあの「いずれあやめかかきつばた」の謂れだという記事を見つけました。原典の太平記巻二十一にはこんなことが書いてありましたよ。
「誠やらん頼政は、藤壷の菖蒲に心を懸て堪ぬ思に臥沈むなる。今夜の勧賞には、此あやめを下さるべし。但し此女を頼政音にのみ聞て、未目には見ざんなれば、同様なる女房をあまた出して、引煩はゞ、あやめも知ぬ恋をする哉と笑んずるぞ。」と仰られて、後宮三千人の侍女の中より、花を猜み月を妬む程の女房達を、十二人同様に装束せさせて、中々ほのかなる気色もなく、金沙の羅の中にぞ置れける。さて頼政を清涼殿の孫廂へ召れ、更衣を勅使にて、「今夜の抽賞には、浅香の沼のあやめを下さるべし。其手は緩とも、自ら引て我宿の妻と成。」とぞ仰下されける。頼政勅に随て、清涼殿の大床に手をうち懸て候けるが、何も齢二八計なる女房の、みめ貌絵に書共筆も難及程なるが、金翠の装を餝り、桃顔の媚を含で並居たれば、頼政心弥迷ひ目うつろいて、何を菖蒲と可引心地も無りけり。更衣打笑て、「水のまさらば浅香の沼さへまぎるゝ事もこそあれ。」と申されければ、頼政、五月雨に沢辺の真薦水越て何菖蒲と引ぞ煩ふとぞ読たりける。時に近衛関白殿、余の感に堪かねて、自ら立て菖蒲の前の袖を引、「是こそ汝が宿の妻よ。」とて、頼政にこそ下されけれ。」
ま、番組には何の関係もないのでしょうけれど。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-05-26 01:13 | 観劇記録 | Comments(0)
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