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杉浦定期能 「弱法師」 「百万」 「鵺」

常岡浩介で検索して猫とかにゃーにゃが出てきたら本人もちょっとうれしいんじゃないかと思うが、江川●子で閉経とかめい●まで上から目線とかお気の毒、あ、後者は合ってるからいいか。





だいたい月イチの観能。ホントはもっと見たいのだけれど、これ以上のペースだと消化不良になるような気がして。

  平成27年2月14日@京都観世会館
  杉浦定期能

  弱法師 
   シテ(俊徳丸) 金子昭
   ワキ(高安通俊) 原大
   アイ(通俊の従者) 茂山良暢

  狂言
  悪坊
   シテ(悪坊) 茂山正邦
   アド(出家) 茂山あきら
   アド(宿の亭主) 網谷正美

  百万 
   シテ(百万) 塚本和雄
   ワキ(男) 村山弘
   子方(百万の子) 大江信之助
   アイ(清凉寺門前の男) 丸石やすし

  仕舞
   巴 大江信行
   当麻 大江又三郎
   隅田川 井上裕久
   融 杉浦豊彦

  
   シテ(舟人、鵺の亡霊) 杉浦悠一郎
   ワキ(旅僧) 有松遼一
   アイ(芦屋の里の者) 増田浩紀
   

「弱法師」と「百万」はいずれも生き別れた親子の再会の物語ですが、男親か女親かで色々な事柄が随分と異なります。
まず「弱法師」から。
河内の国、高安の通俊はさる人の讒言によって我が子俊徳丸を追放するが、日が経つにつれて不憫に思い天王寺にて七日施行(せぎょう)を行う。そこに盲目の乞食が現れ舞を舞う。通俊はその乞食が他ならぬ俊徳丸と知り、高安の里に連れ帰る。
次に「百万」。
吉野の男が西大寺で一人の幼子を拾い、嵯峨の大念仏にやってくる。そこに百万という狂女が現れて舞う。幼子が百万こそ自分の母であることに気付く。男が百万に幼子を引き合わせ、二人は再会を喜ぶ。
弱法師では父が子を探しているのだが、劇の主役は子であってしかも盲目である。百万では母が子を探しており、主役は母で狂女という設定。弱法師の父は、我が子と認めて後も、人目を気にして夜になるまで名乗りをしない。百万では子供が先に母であると気づくが、連れている男はすぐには名乗らせず、百万の恨みを買う。ここにはa)共通する項目(名乗りの遅延)と、b)対称的な項目(盲目の子と不自由のない子、物狂いの母と正気の父)が見て取れます。
a)の共通する項目ですが、「弱法師」の通俊の台詞「人目もさすがに候へば。夜に入りて某と名のり。高安へ連れて帰らばやと存じ候。」、あるいは「百万」の男の「これは思ひもよらぬ事を承り候ふものかな。やがて問うて参らせうずるにて候。」はどちらも人によっては随分と情の無い言葉だと思われるかも知れません。すなわち通俊は盲目となった我が子の痛ましい姿を目にしても、世間体のほうが大事なのか、ということになるし、百万の男は幼子が母だと気づいたにも関わらず、尚も百万に物狂いの舞を舞わせてみてみたいという欲望を抑えることができない、ということになってしまいます。しかし、これらの台詞を現代劇のように額面通りに受け取ってはいけないような気がします。この「名乗りの遅延」は、親子の対面が叶った瞬間に劇が終わってしまうという作劇法からの要請というよりも、なにか説話的、神話的あるいは呪術的なレベルでの意味合いがあるような気がします。隅田川の船頭の語りなどもそういった意味合いがあるのかも知れません。
b)の対称的な項目については、母と子の生き別れが他にも「隅田川」「桜川」「三井寺」などがあるのに対し、父と子のほうは他に例があるのかよくわかりません。わずか一例ではこれ以上のことはなんとも言えません。盲目のシテという意味では「蝉丸」があるようですが、こちらは同じ生き別れでも親子ではなく姉弟。レヴィ=ストロース風の変換を当てはめるのはちょっと無理筋か。

弱法師の話に戻ると、この能の見どころというのは偏に盲目の俊徳丸の所作から与えられる痛ましさというものであろうと思いますが、杖で足元を探る動作のリアリティには驚きながらも、情緒的な意味での感動は得られませんでした。これは私の理解が及ばないからか、もともとそういうものなのか。三島由紀夫が皮肉で苦い味わいの近代能楽集に翻案した理由ともども、考えてみましたが簡単に結論はでそうにありません。百万も然り。最後、子方が一人橋懸りから退場すると、しばらくして百万がゆっくりと後を追う。どうも苦難の末に対面したばかりの親子とも思えぬ所作に馴染めないのも、近代的なドラマトゥルギーに染まり過ぎた弊害だろうか。

狂言は悪坊。
気の弱い旅の出家(僧)が悪坊という酔っぱらいにからまれ、嫌々ながらも同じ宿に泊まる羽目に。さんざんなぶられた出家は悪坊が寝入ると仕返しとばかり、悪坊の小袖と自分の十徳を取り替え、悪坊の薙刀や帯刀を持ち去り、かわりに唐傘と助老を置いておく。目を覚ました悪坊は、これは釈迦か達磨が自分を戒めたものであろうと勘違いして宿を発つ。
実際の酔っぱらいは困ったものですがこちらの悪坊はなんとも愛嬌があって可笑しい。ふらつく足で薙刀を柱にもたせ掛けようとして、「柱が十本にも二十本にも見える」云々というところなど大笑いでした。

仕舞は四番。今回、隅田川からの舞を見れたのは収穫でした。仕舞は鳥の名を問うシテに対して「沖の鷗」と答えた船頭の対話を受ける地謡、「我もまたいざ言問わん都鳥」から「さりとては渡守、舟こぞりて狭くとも、乗せさせ給え渡守。さりとては乗せさせ給えや」までの部分を取り上げています。素人目にはとても地味なものに見えますが、見巧者にはいろいろと面白いのでしょうか。全体に、「巴」以外はいずれも動きのすくない舞です。

最後は「鵺」。
芦屋の里。旅の僧のもとに舟人が現れ、近衛院の御代、仁平の頃に夜な夜な主上を悩ませた怪物鵺が源頼政に退治されたようすを語って聞かせる。里の者から詳しい経緯を聞いた僧がそのまま留まって供養を行うと鵺が現れ、「思へば頼政が矢先よりは君の天罰を当たりけるよと今こそ思ひ知られたれ」と悔やみながら海のかなたに消えていく。
鵺は「頭(かしら)は猿、尾は蛇(くちなは)、足手は虎のごとくにて、鳴く声鵺に似たりけり」という魔物。前シテは黒頭、黒づくめの装束に怪士(かいじ)の不気味な面、後シテは赤頭に小飛出。前半は動きが少ないが、後半は本性を現した鵺がぞんぶんに舞台を暴れまわって切能に相応しく終わります。見た目の面白さもさることながら、頼政と鵺の対決の場は、シテ「矢取つて打ちつがひ」地「南無八幡大菩薩と。心中に祈念して。よつぴきひやうと放つ矢に。手応へしてはたと当たる。得たりや、おうと矢叫びして。落つる所を猪早太(いのはやた)つゝと寄りてつゞけさまに。九刀(ここのかたな)ぞ刺いたりける」云々といった調子で、まるで平家物語を読んでいるかのよう。ちなみに「弱法師」と「百万」のテクストは仏教説話風の文体で読むのにかなり骨が折れますが、鵺のほうは比較的読みやすく、また聞き取りやすく、こんなことも切能に相応しいポイントかも知れません。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-02-16 23:48 | 観劇記録 | Comments(0)
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