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バルトーク 弦楽四重奏曲全曲演奏会vol.1

私が生まれて初めてハマった曲は多分「ワシントン広場の夜は更けて」。本人の記憶はないが、「あんたはこのレコードかけんとご飯食べんかったね~」等の証言多数。





京都のカフェ・モンタージュでバルトークの弦楽四重奏曲を2曲聴いてきました。

  2014年9月30日@カフェ・モンタージュ
   バルトーク
    弦楽四重奏曲第3番Sz.85 (1927)
    (休憩) 
    弦楽四重奏曲第5番Sz.102 (1934)

  泉原隆志(vn)、長谷川真弓(vn)、金本洋子(va)、城甲実子(vc)

私がバルトークの弦楽四重奏曲を初めて聴いたのは中学生の頃、ノヴァークSQの廉価盤LPを買ってそれこそむさぼるように聴いた時期がありました。たまたま安くて目についた程度のきっかけでしたが、名高いジュリアードSQではなくノヴァーク盤からバルトークの世界に足を踏み入れたのは今にして思えば意味のあることだったと思います。精緻極まりないジュリアードに比べて、荒削りでバルトークの土俗性を否応なく暴きだすノヴァークSQの演奏は、一般に傑作とされる4番以降よりも前半の3曲により向いていると思います。実は私、バルトークの6つの弦楽四重奏曲の中では第3番が一番好きなのですが、バルトークのラジカルな要素とフォークロア的要素がぎりぎりの地点で奇跡のように両立している作品だと思います。もし私がジュリアードの旧盤あたりを最初に聴いていたなら、多分第4番のほうをより好んでいたかも知れません。フォークロア的要素を高度に抽象化して激烈な音楽に仕上げた第4番はもちろん傑作だと思いますが、個人的な好き嫌いのレベルでは断然第3番になってしまうのは、若い頃のノヴァークSQ体験の刷込みによるところが大きいのではないかと思っています。

さて今回の演奏、今のところ名無しの弦楽四重奏団ということで、アンサンブルとして練れていないのかも知れませんが、前半の第3番はかなり瑕の多い演奏でした。冒頭のチェロのハーモニックスの上に積みあがる和音からして今ひとつ音程が決まらず、一気に不安になりましたが、案の定seconda parteでは何度か崩壊寸前まで乱れることも。ちょっと「商品」としてどうかな、と思いつつも、なんというかこの作品の「初演」を聴いているような不思議な感覚になりました。これは皮肉でも嫌味でもなくて、彼らが満身創痍ながらも借り物でない自分達の言葉で語っていたということなのだろうと思います。少なくともジュリアードの劣化コピーを聴かされるよりは遥かに面白い演奏でした。多分その率直で奔放な表現が作品のフォークロアな部分にマッチするのだろうと思います。
私は何種類も聴き比べてきたわけでもなく、熱心なコンサート・ゴーアーでもないのでよくは知りませんが、バルトークの場合、やはりジュリアードの旧盤の影響というのが大きくて、その磁場から逃れて自由に演奏するということが非常に困難な状況なのかな、と思います。いま手元にあるエマーソンSQのCDを聴いてもそういった感をつよく持ちます(ものすごく優れた録音ではありますが)。その点今回の演奏、粗はあっても自由にのびやかに(ご本人達はそれどころじゃなかったかも知れませんが)弾いておられた感じを受けたのは良かったと思います。

後半の第5番は前半よりも精度の高い演奏で、作品の核心の部分に迫るものがありました。この第5番については、これまでバルトークの創作の絶頂期に位置しながらも、なにか生命力の衰えのようなものを感じていました。これはほぼ同時期の「弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽」や「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」も同様。大変な傑作だけれど1920年代の勢いは残念ながら失われていると思っていました。しかし今回の演奏を聴いて、作品に宿っている膨大なエネルギー(うかつにも今まであまり気づいていなかった)を感じ取ることが出来たように思います。多少粗っぽい演奏ではありますが、既存の演奏のコピーでなく自分達の言葉で表現しようとする気迫が、作品の真価を聴き手に伝えるのだと思います。
個々の奏者の技量を云々することはしませんが、京都市交響楽団のコンマスでもある泉原氏が強力に(強引に)全体を統率するスタイル。場数を重ねてもうすこし余裕が出来たなら伸び代は大きいと見ました。今後バルトークの全曲演奏を目指しているとのこと。作品としての完成度の高さでは随一の第4番や、一筋縄ではゆかぬ悪意と苦い味わいに満ちた第6番などにどう取り組んでいかれるのか大変興味を持っています。

余談ですが、カフェ・モンタージュの店主、ちょっと要領悪そうで軽くイラッと来るタイプなんだけれど、演奏前のちょっとしたトークが飄々としてなかなか良いです。演奏会のフライヤーがいつも手作り感溢れているのですが、今回のは同時代の空気を表したくてアンドレ・ケルテスが1938年に撮ったニューヨーク・シティ・バレエの写真を使ってみたとさりげなく解説。いやぁそのセンス、侮れませんわ。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2014-10-01 23:37 | 演奏会レビュー | Comments(0)
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