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ヒンデミット 「聖女スザンナ」他 (その1)

(承前)CMといやあれは昭和の終わり頃だったか、バブル時代の資生堂インウイ「セルジュ・ルタンス」のCMで山口小夜子をモデルに、マーラーの第10番のアダージョが流れていたものがあったが、あれは凄かった。映像も選曲も。あの頃はTVCMが確かに時代の最先端を行っていたと思う。





久々のCD鑑賞記はヒンデミットのレアものの取り合わせ。このブログでは以前彼のオペラ「カルディヤック」を取り上げたことがあるが、今回はさらに珍しい作品ばかりです。

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  歌劇「聖女スザンナ」Op.21
     スザンナ: スーザン・ブロック(Sp)
     クレメンツィア: デッラ・ジョーンズ(Ms)
     老尼僧: アメラル・ガンソン(Ms)
     若い女: マリア・トリーダウェイ(語り)
     作男: マーク・ローリンソン(語り)
  ヌシュ=ヌシの踊り
  トゥッティフェントヒェン組曲
  3つの歌Op.9
     スーザン・ブロック(Sp)

     リーズ・フェスティヴァル合唱団
     ヤン・パスカル・トルトゥリエ指揮BBCフィルハーモニック
     1997年5月7~9日録音
     CD:CHANDOS Chan9620


まずは「聖女スザンナ」から。1919年から21年に掛けて書かれた、いずれも性をテーマとする一幕物のオペラ三部作(「殺人者、女の望み」「ヌシュ=ヌシ」とこの「聖女スザンナ」)については、個人のブログで取り上げたものがいくつか見つかりましたが、基本的に日本語の文献が極めて少ない。「聖女スザンナ」のリブレットはCDのリーフレットによれば、1915年に若くして戦死したアウグスト・シュトラムの戯曲によるものらしいが、この人の戯曲はその表現主義的な作風によってSchreidramen(絶叫演劇?)と呼ばれていたとか。英語の対訳を読むと、イングマール・ベルイマンの陰鬱な映画の脚本を読んでいるような気にさせられます。ココシュカの台本による血なまぐさい「殺人者、女の望み」、かなりお下劣な笑劇「ヌシュ=ヌシ」と抒情的宗教劇の趣をもつ「聖女スザンナ」の取り合わせは、当然のことながら1918年のプッチーニの三部作「外套」「聖女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」に触発されたものと思いますが、ヒンデミットのほうは(「殺人者・・・」は聴いたことがありませんが)いずれも性をテーマとするかなり激烈な作風で、作曲者が最も表現主義的であったころの作品。ちなみに1928年クルシェネクも一幕物オペラの三部作「独裁者」「秘密の王国」「ヘビー級、または国家の栄光」を書いているが、こちらは激レア・アイテムにつき私は聴いたことがありません。
さきほど、プッチーニの「聖女アンジェリカ」との対比で抒情的宗教劇と書きましたが、実際には随分とエロティックな物語で、初演の際には教会サイドからの妨害があったとのこと。また時代は少し下るが、のちにヒンデミットがナチスから「退廃芸術」の烙印を押される遠因の一つであったかも知れません。
英語版のwikipediaにもシノプシスが載ってませんので物語を簡単に紹介しておきます。
* * * * *
とある修道院。ニワトコ(注1)の花の匂いがむせかえるような初夏の夜、若い修道女スザンナが祈っていると古参の修道女クレメンツィアがやってくる。その時、窓の外から快楽に喘ぐ若い女の声がする。礼拝堂に入ってきた若い女にスザンナは興味を持つが、すぐに相手の逞しい作男がやってきて女を連れ戻そうとする。スザンナは発作的に彼らに向かって「悪魔!」と叫ぶ。クレメンツィアは30年以上も前のおぞましい出来事を思い出し、スザンナに告げる。それは、今日と同じような夏の夜、ベアータという若い女が突然キリスト像の前で裸になって像に抱きつくという事件が起こり、この瀆神の罪を犯したベアータを尼僧ら皆で生きながらにして礼拝堂の壁に塗り込めたというものであった。それ以来半裸のキリスト像の腰は布で覆われていたのだが、この告白を聞くうちにスザンナも同じ欲望に取り憑かれ、全裸になってキリストの腰布をはぎ取る。突然十字架の上からスザンナの髪に巨大な蜘蛛が落ちてきて、彼女は髪を掻き毟りながら身もだえする。そこに尼僧たちがやってきて、スザンナに懺悔を迫るが、彼女はこれを拒否。一同が「悪魔!」(Satana!)と叫ぶ中、幕が降りる。
* * * * *
いやはやなんとも。さすがフロイトとヒステリーの時代だと思うばかりですが、音楽のほうもかなり無調的。但しシェーンベルクの無調作品、たとえば「期待」(1909年)などと比べると、「無調的」ではあるものの主音の存在によってよく聴くと拡大された調性作品であるということに気付きます。実際、オペラの前奏は嬰ヘ長調の三和音から始まり、終盤のクライマックスは最も遠隔調のハ長調、最後の尼僧の合唱は変ホ短調の三和音の上に展開されていることなど。全体にひそやかな薄い響きで描かれた部分が多いものの、中盤からの変奏曲形式で描かれた部分になると、登場人物の感情の起伏に合わせて時に大オーケストラの激烈な咆哮が現れます。この変奏曲はものすごく緻密に書かれていて、非常に優れた音楽だと思いました。ちなみにオペラにおける変奏曲形式といえば、誰しもベルクの「ヴォツェック」の第1幕第4場の医師と大尉の会話(パッサカリア)、あるいは第3幕第1場のマリーの懺悔(一つの主題によるインヴェンション)を思い出すでしょうが、ヴォツェックの初演は1925年ですから、もしかしたらベルクがこのヒンデミットのオペラから影響を受けた可能性はあると思います。
ところで、ネットを漁っていて見つけた下記の論文にこんな記述がありました。

http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/5740/1/kenkyu0220400890.pdf#search='%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88+%E3%83%8C%E3%82%B7%E3%83%A5%EF%BC%9D%E3%83%8C%E3%82%B7+pdf'

「特に「聖女スザンナ」は、音楽はテキストに導かれるままに流れているように見えて、実は長大な変奏形式をとっており、しかもそれは小節数上、厳密なシンメトリー構造を示しているのであって、決してその場の思いつきや情景描写だけで書かれているわけではない。」
(江藤光紀著『引き裂かれたポートレート : オペラ「画家マチス」のはらむもの』
一橋研究, 22(4): 89-114)
この著作の中では、具体的にどのような小節数上のシンメトリーなのかが記されておらず、「へぇ」と思いながらIMSLPでダウンロードしたヴォーカルスコアを眺めているとどうも納得がいきません。最初の長大なレチタティーヴォは変奏曲の一部とは思えませんし、コーダの小節数を数えてもシンメトリーを成しているようにも思えません。少なくとも「小節数上、厳密なシンメトリー」という言葉は、ベルクの「ルル」の間奏曲や「抒情組曲」の第3楽章のような回文形式にこそ相応しいはず。どうも著者の思い込みで筆が滑ったように感じられるのですが如何でしょうか。
ちなみに少し素人分析をしてみると、こんな構造ではないかと思います。

  前奏曲(変奏曲主題の提示) 1~44小節(44小節)
  レチタティーヴォ 45~105小節(61小節)
  変奏曲
   主題の再提示 106~157小節(52小節)
   第1変奏 158~210小節(53小節)
   第2変奏 211~272小節(62小節)
   第3変奏 273~322小節(50小節)
   第4変奏 323~384小節(62小節)
   第5変奏 385~445小節(61小節)
   第6変奏 446~494小節(49小節)
   カデンツァと変奏曲の結尾 495~521小節(27小節)
  コーダ(尼僧の合唱) 522~603小節(83小節)

ちょっと長くなりそうなので一旦切ります。

(注1)ドイツ語のリブレットにはFlieder、英語対訳にはlilacと書かれている。これをニワトコと訳した理由は以前「ニュルンベルクのマイスタージンガー」について書いた折に言及しているので参照されたし。
http://nekolisten.exblog.jp/17584540/
(この項続く)
by nekomatalistener | 2014-08-01 00:24 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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