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今更ながらドヴォルザーク(その1)

8億円の使い道に「熊手」なんてボケた回答じゃなくて村上隆のフィギュア買ったくらいいえばよかったのにね。





大阪交響楽団の次の定期はオール・ドヴォルザーク・プロで、しかも「自然・人生・愛~マーラーとそのライヴァルたち ①」という副題附き。曲目は 「自然と人生と愛」三部作(序曲「自然の中で」Op.91、序曲「謝肉祭」Op.92、序曲「オセロー」Op.93)と交響曲第7番ニ短調Op.70という、比較的マイナーな演目。その予習ということで下記の音源を聴いています。
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  ①序曲「わが家」 Op.62
  ②序曲「フス教徒」 Op.67
  三部作《自然と人生と愛》
  ③序曲「自然のなかで」 Op.91
  ④序曲「謝肉祭」 Op.92
  ⑤序曲「オセロー」 Op.93
  イシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団
  1966年12月(①・②・⑤)、10月(③)、1965年12月(④)録音
  DECCA UCCD-3543
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  ①交響曲第7番ニ短調 Op.70
  ②交響曲第8番ト長調 Op.88
  イシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団
  1964年3月(①)、1963年2月(②)録音
  DECCA UCCD-7091

以前このブログでドヴォルザークのオペラ「ルサルカ」を取り上げた際に、私がドヴォルザークを苦手としていること(苦手というより限りなく「嫌い」に近い、けれども「無関心」というのではない)について書きました。正直なところ、「ルサルカ」以外の作品を殆ど真面目に聴いていないので「食わず嫌い」と言っても良いのですが、私が苦手と思っている理由らしきものを整理すると次のようなところだろうと思う(偏見も含めて)。
・ここぞというところで現れるキャッチーな旋律が泥臭くて嫌い。交響曲第9番のフィナーレとか、第8番の第1楽章、チェロ協奏曲等々、生理的にダメ。
(これはどうしても譲れないところで、普段ストラヴィンスキーの音楽を「洗練の極致」などと思っている人間にいくら「いいだろ?」と言っても無駄)
・ポスト・ワーグナーの世代にしては和声が幼稚な感じがする。自分の詰らないプライドが邪魔していることは認識しつつも、これを好んで聴こうという気になれない。
(といいながら、こういう厨ニ病の類はそろそろいい加減克服しなくては、とも思う。)
・ト短調のピアノ協奏曲の作曲者自身の手になる幼稚なピアノ独奏パートを昔ちらっとみて以来馬鹿にしてしまった。
(いまではピアノ弾きの幼稚なオーケストレーションも、ピアノが弾けない人のピアノ曲も、音楽そのものが良ければいいじゃないかと思う程度には私も成長したと思っているのだけれど・・・)
・世間ではとにかく人気があって、クラシックの入門編みたいに思われているのがこれまた胡散臭い。「新世界より」のことを、ベートーヴェンの「運命」、シューベルトの「未完成」と並べて「三大交響曲」などと書かれていると「バカか」と思ってしまう。
(はい、これ偏見ね)

そうは言いながら、大のつく指揮者がこぞって取り上げるのも、単なる興行上の要請に応えただけとも思われず、「気になる作曲家」であったのは事実。このまま「ルサルカ」以外の作品をまともに聴かないまま死ぬのも勿体無いと思い、今回の定期公演でドヴォルザークと対決しよう、彼のいいところも悪いところもしっかり聴いてみようと思った次第(ちょっと大げさですが)。

「ルサルカ」についてはかなり聴き込んだ時期があって、その点ではドヴォルザーク苦手と言いながら、そんじょそこらのにわかファンには負けないという自負もあります。その「ルサルカ」から感じることをまとめるとこんな感じ。
・物凄くよく書けたオリジナリティの高い音楽と、ワーグナーやチャイコフスキーの劣化コピーのような音楽が継ぎ目も露わに混在している。
・第2幕、王子と侯爵夫人の逢引きの後のカタストロフが典型的だが、ここぞというところなのにポスト・ワーグナー世代とは思えないほど凡庸な和声に頼っていて腰砕け。
・オリジナリティの高いところには、いわゆる「民族主義的」旋律に辟易してしまうところと、それなりに「ダサかっこいい」ところがある。それはともかく、彼の「民族主義」なるものは結局のところ、ハンスリックやブラームスの体現していたドイツ流のオーセンティックな音楽やワーグナーの楽劇への、地方出身者故のコンプレックスのようなものに撓められているように思われる。
・「月に寄せる歌」に顕著なように、次から次に繰り出される旋律の美しさは大したもの。

ひとしきり「ルサルカ」の音楽について書いた後、こんな結論めいたことを当時書いてました。
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ドヴォルザークを例えばムソルグスキーと比べてみると、前者は生まれるのが遅すぎた秀才、後者は生まれるのが早すぎた天才、と(むごいようですが)はっきりと違いが分かります。作曲のスキルという意味ではドヴォルザークの方が多分数倍優っていますが、後者の天才はどんなに稚拙なスコアからも隠れようがありません。
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今回の定期公演の副題にもある、マーラーとの関連については、以前こんなことを書いてました。
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(ルサルカ第1幕の)イェジババとの対話の後、二短調の間奏となりますが、序曲冒頭の旋律が若干モディファイされると、マーラーの6番交響曲の一節が突如鳴りだしたような錯覚を覚えます。いや、これ錯覚ではなくマーラが引用したのではないのか?ドヴォルザークが1904年5月に死んだ正にその年の夏に、この「悲劇的」というタイトルの付いた交響曲が書かれています。偶然というには符徴が合いすぎますね。
この間奏の後、イェジババの呪文の歌Čury mury fuk(Allegro vivo ロ短調)が歌われます。前半は子供っぽくてあまり面白いとも思いませんが、後半のレントラーは狩のホルンが遠くで鳴り響き、まるでマーラーの「子供の不思議な角笛」を思わせます。ルサルカを書いていた1900年当時、ドヴォルザークは1886年作曲の「角笛」を知っていたのでしょうか?マーラーがルサルカの存在を知っていたのははっきりしているようですが。引用したりされたり、が本当であれば実に興味深い話です。
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ざっと以上のような、ひねくれたドヴォルザーク観を土台にしつつ、改めて彼の交響曲や序曲を無心に、謙虚に聴いてみようという試みです。前段が長くなってしまいましたので本編は次回に。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2014-04-19 15:07 | CD・DVD試聴記 | Comments(2)
Commented by ぞんじん at 2017-04-15 01:02 x
今晩は久々に肉を食べたなぁと、やや胃もたれです。好きなドヴォルザークの記事があったので読んでみたら、まさかの嫌い・・・。へー、そんな感じ方があるのかと思って興味津々でした。
Commented by nekomatalistener at 2017-04-16 21:42
> ぞんじんさん
私も肉食い過ぎてしんどかったです。あんまりお話できませんでしたが、また次の機会にゆっくり、ドヴォルザークについても話しましょう。
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