太宰のメロスは実は歩いていた、という中学生の自由研究論文「メロスの全力を検証」が話題になってるが、この結びの一言が秀逸すぎる。
”「走れメロス」というタイトルは、「走れよメロス」のほうが合っているなと思いました。” http://www.rimse.or.jp/project/research/winner.html もう何年前になるだろうか、むかし「バベットの晩餐会」という映画を観て、随分感動したことがありました。一言でいうと「心あたたまる映画」。それからしばらくして原作が文庫本で出ていたことも知ってましたが、正直なところ、「ちょっといい話」みたいなものだろうと思い、実際に手にすることはありませんでした。まぁ良くてオー・ヘンリーの「賢者の贈り物」みたいな感じだろう、と侮るような気持ちもありました。 それがつい最近、ちょっと思うところあって原作を読んだのですよ(イサク・ディーネセン、桝田啓介訳『バベットの晩餐会』 ちくま文庫)。驚きました。こんなお話だったのか、と。いや、粗筋そのものは映画と大差ありません。しかしバベットの最後の台詞がちょっと驚くものでした(映画のほうも、もしかしたらもう少し「毒」のある内容だったのかも知れませんが、少なくとも私には原作ほどの毒は感じられませんでした)。 ここで大急ぎでお話をおさらいしてみます(前段の、姉妹が若い頃の淡い恋の物語については割愛)。舞台はノルウェーの小さな町ベアレヴォー。教区牧師亡き後、二人のオールドミスの姉妹が教会を守っている。信者の村人達は年老いて不寛容になり、互いにいがみ合っている。かつて姉妹のもとに1871年のパリ・コミューン弾圧を逃れてバベットという女が助けを求めてたどり着き、そのまま家政婦として14年間姉妹とともに質素な暮らしをしている。ある日、バベットがひそかに知人を介して買い続けていた富籤が当たり、1万フランを手にする。姉妹の亡父の生誕祭を控え、バベットは賞金で村人に本物のフランス料理を振る舞いたいと申し出る。姉妹は当惑しながらもバベットの言うとおりにさせるが、それから巨大な海亀を始めとする見たこともないような食材が遥々パリから運ばれるにつれて、それまで質素と倹約を旨として暮らしてきた姉妹は激しく後悔し、ついには村人達と、当日の晩餐を食しても決してそのことを話題にするまい、と申し合わせをする。いよいよ当日、たまたま故郷ノルウェーに戻っていたレーヴェンイェルム将軍を含む12名の客人(将軍以外はいずれも村の老人)が集まり、晩餐会が始まる。将軍は王妃の侍女を妻とし、パリやロシアの社交界にも出入りをして最高の贅沢を経験していたが、最初に小さなグラスで供された飲み物に大して期待もせず口をつけて驚く。「不思議だ。アモンティラードではないか。それもこれまで味わったこともない極上のものだ」。それから海亀のスープやブリニのデミドフ風、うずらの石棺風パイ詰めの素晴らしさに驚愕し、その料理がまぎれもなくかつてのパリの名店の女料理人のものであることに気付く。一方他の客人たちは申し合わせ通り料理については一言も発しないが、やがて奇跡のように陰鬱な部屋は光に溢れ、皆の心がほぐれて普段無口な人々だというのに楽しげな会話に花が咲く・・・ と、ここまでは映画の通り。実にいいお話です。しかし問題は晩餐会が終わってからのバベットと姉妹の対話。 姉妹はバベットに感謝しながらも、富籤で大金を得たバベットはパリに帰るに違いないと寂しく思っていた。しかしバベットは、あの1万フランは全部使ってしまったと言って姉妹を驚かせる。バベットは、もうパリにはかつての自分の客であった貴族や上流階級の人達は誰もいないのだから帰るつもりはないというが、姉妹はバベットがパリ・コミューンで夫と息子をその他ならぬ貴族達に殺され、命からがら逃げてきたことを知っていたので不審に思う。しかしバベットはこう言い放つ「あのかたがたはわたしの、そう、わたしのものだったのです。あのかたがたは、おふたりにはまるで理解することも信じることもできないほどの費用をかけて、育てられ躾けられていたのです。わたしがどれほどすぐれた芸術家であるかを知るために。わたしはあのかたがたを幸せにすることができました。わたしが最高の料理を出したとき、あのかたがたをこの上なく幸せにすることができたのです」。 ・・・おもえばバベットが村人にフランス料理を振る舞いたいと考えたのは、芸術家としての已むに已まれぬ衝動からなのであって、彼女が客人の中で唯一そのグラスを常に満たすよう給仕の少年に注意していたのはレーヴェンイェルム将軍だけであったのです。かつてバベットの作り出す芸術を正しく享受し得たのはパリで最高の教育を施された貴族や上流階級の人達であり、彼らが滅びた後はかろうじて当時の社交界を知る将軍だけが正しく彼女の芸術を理解したわけだ。では他の村人は?そう、彼らも彼女の芸術をおそらくは正しく受け止めていた。ただし、それを言葉にする(評価する)ことはできず、バベット自身も決して彼らへの献身、貧しき者達への善意から事を思い立った訳ではなかった。 これは芸術とその享受のあり方についてのおそるべき寓話なのではないでしょうか。芸術とは多分とても残酷なものであって、万人が等しく同等の深さで享受することなど望んでいない。そして享受する側は、芸術の真価を知るために金と時間を掛け、しかるべき鍛錬の時期を経た少数の者と、単に感覚的なよろこびを味わうその他大勢に分かれる、ということでしょう。これを、鼻もちならないと考える向きもあろうかと思います。この短い小説にはもともと様々な二項対立の要素、例えばカトリシズムとプロテスタンティズムとかがさりげなく埋め込まれていて、芸術についても、バベットの言うような芸術がすべてではないことは明らかです。しかしいかに鼻もちならないにせよ、バベットの造る料理のように、それについて語ろうとすると語り手の芸術に対する種々の経験知とか素養といったものが問われるタイプの芸術が存在するのは事実だろうと思います。 登場人物の中ではレーヴェンイェルム将軍の造形が実に面白い。小説の中の位置付けとしてはディレッタントを代表する人物なのでしょうが、その描かれ方はスノビスムとすれすれでありながら、まぎれもない芸術への畏敬というものをきちんと押さえていて秀逸でした。
by nekomatalistener
| 2014-02-12 00:55
| その他
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Comments(2)
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schumania
at 2014-02-13 21:19
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興味深く拝読しました。
これは、佐村河内騒動のエントリーの続編ですか?
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nekomatalistener at 2014-02-14 00:49
原作を読んだきっかけは別の理由があったのですが、記事にしようと思ったのは仰る通り例の騒動に触発されたからです(たまたまタイミングが合ったというのもあります)。考えようによっては下らない事件という気もしますが、そのくせ様々な思索を誘われるのも事実。じっさい、江川紹子氏に大野和士氏、はたまた池田信夫氏に至るまで、さまざまな論考が毎日のように現れて、若干不謹慎かも知れませんが実に面白い展開になっていると思います。
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