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マイアベーア 「悪魔のロベール」を聴く (その2)

タモちゃんの「これでは国民が馬鹿になります」ツイートに賛成ww




それにしても、マイアベーアを聴いてつくづく感じることは、先行者としてのロッシーニがどれほど偉大な作曲家であったかということ。ロッシーニが1829年の「ウィリアム・テル」を最後にオペラの筆を折ったせいか、「悪魔のロベール」第2幕のイザベルのアリアなど、ロッシーニの正統な後継者たらんとして書いたことが歴然としていますが、そこは天才ならぬ身の悲しさとでも言うべきだろうか、聞けば聞くほどロッシーニの才能が際立ち、本家のロッシーニのオペラを聴きたくなってしまいます。一方、第4幕のイザベルのカヴァティーヌはいかにもベルカント風の切なくも美しい旋律。初演の1831年といえば、ベッリーニが「夢遊病の女」と「ノルマ」を続けて発表した年、ドニゼッティも1830年「アンナ・ボレーナ」を皮切りにぞくぞくと新作を発表しだした頃。この取り込みの速さと手際の良さというのもいかにもマイアベーア、なのだろう。
それでは以下、前回の続きを・・・。

【第2幕】
第4曲:序曲、レチタティーヴォとアリア
シチリアのイザベル姫は、王宮で独りロベールを想い嘆いている。そこに侍女達と共にアリースがやってきて、ロベールの書いた手紙をイザベルに手渡す。イザベルは心動かされ、ロベールの力になりたいと思う。
この第2幕全体が、イザベルという第1幕には登場しない人物のために書かれていると言っても過言ではありません。もう一人のヒロイン、アリースがリリコ、もしくはリリコ・スピントのための役柄なら、こちらはレッジェーロのための役柄。という訳で、イザベルのアリアにはロッシーニの影響が強く見られますが、ロマン派の終焉と共にこのオペラの上演頻度が激減したのは、このイザベル役を歌える歌手が(ロッシーニのセリア同様)いなくなった、あるいはこのロッシーニ風のフィオリトゥーラを歌う技術が途絶えたから、という理由もあるだろうと思います。そういう意味では、20世紀の後半にロッシーニの埋もれていた多くの作品が優れた歌手の力によって復活し、それが一通り終わった今現在こそ、マイアベーアの真価を計るべき時のような気がします。
第4曲は概ねカヴァティーナ=カバレッタ形式で書かれていて、セリア風で装飾の多いAndantino(譜例5)がカヴァティーナ、シチリアーナ風のAllegretto molto moderato(譜例6)がカバレッタに相当します。とくにシチリアーナの後半は胸がすくようなコロラトゥーラが頻出します。マイアベーアのコロラトゥーラといえば「ディノーラ」の「影の歌」が有名ですが、こちらは1859年の作ということもあってすっかりロマン派の音楽になっています。こういったオペラ・コミークの方のマイアベーアもいずれきちんと聴いておきたいものです。
(譜例5)
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(譜例6)
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第5曲:レチタティーヴォと二重唱
アリースの導きでロベールが現れ、イザベルにこれまでの非礼を詫びる。イザベルは無一文のロベールに新しい一揃いの武具を与え、父王の催す馬上試合の勝者がイザベルを妻とすること、父王は密かにグラナダ公を勝たせたがっていることを知らせる。イザベルが立ち去るとベルトランに操られた伝令が現れ、グラナダ公が退屈な馬上試合ではなく真剣勝負で決闘したがっているとロベールに伝える。ロベールは望むところとばかりに指定された森に出かけていく。その様子を見てベルトランはほくそ笑む。
このロベールとイザベルの二重唱も概ねカヴァティーナ=カバレッタの定型を踏まえています。しかし同時代のドニゼッティと比べると白熱のカバレッタとまではいかないところが少々物足りません。それでもロベールのパートは最後は三点嬰ハまで上り詰め、聴き手を興奮させてくれます(譜例7)。
(譜例7)
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第6曲:踊りと合唱
ロベールを除く全ての登場人物、多くの貴顕や騎士達が舞台に現れ、華やかに馬上試合が始まる。人々はイザベルの徳と美しさを讃えて歌う。
合唱は華麗だけれど少々ステロタイプ。

第7曲:パ・ド・サンク
華やかなバレエ。
私はこういったバレエ曲になると、どうしても前後の部分に比べて密度が低いというか、空虚さを感じてしまいます。しかし音楽そのものは手練の作という感じがします。当時のパリにおけるバレエの受容の実態についても面白い話がたくさんありますが割愛。尚、前回紹介したCDではバレエの中の変ホ長調のMaestosoの部分を第8曲のレチタティーヴォの序奏として用いていて、これは改作としては成功していると思います。

第8曲:レチタティーヴォとフィナーレ
グラナダ公が試合に進み出るが、ロベールの姿はない。イザベルやアリースの悲しみをよそに、試合はグラナダ公の不戦勝となる。ベルトランは勝利の歌を歌う。
冒頭のベルトランの勝利の歌の部分(譜例8)は、リストの「鬼のロベールによる回想」の後半にちらっと出てきます。
(譜例8)
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それに続く部分は実質的にはイザベルの華麗なロンド・フィナーレ。特に(譜例9)のところ、ほとんどロッシーニそのものといった書法。ただ、ロッシーニであればセリアとしての枠組みを壊すことなく、もっと技巧的な旋律を書いたに違いないと思います。
(譜例9)
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次の第3幕でいよいよベルトランが悪魔としての正体を表しますが、続きはまた次回に。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2014-01-17 23:22 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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