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ヴェルディ 「シチリア島の夕べの祈り」 ムーティ/レナータ・スコット他(その1)

村上春樹読んでるヤツをオシャンティーってのも判るけど、僕らが若い頃も「片手に浅田彰、片手にテニスラケット」なんて輩がいたから昔も今も変わらんなー。





ヴェルディ生誕200年にちなんで、私もいろいろと書いてみたいとは思うものの、今更「オテロ」や「ファルスタッフ」の素晴らしさについて述べたところでどうにもなるまい、と思う。どうせなら、あまり知名度のない作品ということで、「椿姫」の次に書かれながら、どういう訳か序曲と「シチリアーナ」以外は非常に演奏される機会の少ない「シチリア島の夕べの祈り」を取り上げてみたいと思います。そもそもこのタイトルにしても、「シチリアの晩鐘」だったり「シチリアの晩禱」だったり、いずれにしてもポピュラーでないだけに訳語もばらばら。私が若い頃はレヴァイン盤くらいしかなかったんじゃないかな。ムーティは後のスカラ座盤もあるが、今手元にあるフィレンツェ盤を紹介しましょう。


  エレーナ: レナータ・スコット(Sp)
  アッリーゴ: ヴェリアーノ・ルケッティ(T)
  モンフォルテ: レナート・ブルゾン(Br)
  ジョヴァンニ・ダ・プローチダ: ルッジェーロ・ライモンディ(Bs)
  ニネッタ: ネッラ・ヴェッリ(A)
  ダニエーリ: ジャンパオロ・コッラーディ(T)
  ベテューヌ卿: グラツィアーノ・ポリドーリ(Bs)
  ヴォードモン伯爵: カルロ・デル・ボスコ(Bs)
  テバルド: ジャンフランコ・マンガノッティ(T)
  ロベルト: ジョルジョ・ジョルジェッティ(Bs)
  マンフレード: カルロ・ノヴェッリ(T)
  リッカルド・ムーティ指揮フィレンツェ五月音楽祭合唱団、管弦楽団
  1978年5月13日ライヴ録音
  CD:Gala GL100.611

ヴェルディのオペラを便宜的に初期・中期・後期と分けるにあたって、一般的には「スティッフェリオ」までを初期、「リゴレット」から「ドン・カルロス」を中期、「アイーダ」以降の3作を後期と分けるのが一般的なのでしょう。しかし、私は前にもどこかで書いたと思うが、「リゴレット」「イル・トロヴァトーレ」「椿姫」は初期のスタイルの完成形であり、「シチリア島」から「ドン・カルロス」の苦渋に満ちた足取りこそが中期と呼ぶに相応しいように思います。それは、何とかして初期のステロタイプな音楽から脱却したいというヴェルディの模索と試行錯誤であり、具体的にはカヴァティーナ・カバレッタ形式を軸とする番号附きオペラという枠組みの放棄、オーケストレーションの著しい深化、リブレットの錯綜とシェーナ(レチタティーヴォ)の長大化といった側面で語ることができます。その歩みはベートーヴェンの後期より少し手前の作品群のようでもあり、シェークスピアの「ヘンリー四世」の後に書かれた一群の苦い味わいの「問題劇」のようでもあるが、その「模索と試行錯誤」の時代の第一歩というべき「シチリア島の夕べの祈り」こそ、猫またぎなリスナーが取り上げるに相応しいのではないか、と思った次第。

ちなみに、ヴェルディのオペラの数は最近は26作と数えるのが一般的なようです。以前は「イェルサレム」と「アロルド」を夫々の改定前の呼称「第一次十字軍のロンバルディア人」や「スティッフェリオ」と別にカウントして28作と言っていたような気がします。それはともかく、最近の数え方ではこの「シチリア島」は第19作ということになるのだろう。このオペラが不当にも(と言いたくなるほど)演奏の機会が少ない理由はなんだろうか。
まずは物語が実にくだらないこと。父と息子の愛憎というテーマがなんとも嘘臭く、つい数時間前まで憎しみの対象でしかなかった父を庇うために愛する女性エレーナとシチリアの人々を裏切る息子アッリーゴに対して、「バカじゃないの?」としか思えません。基本的に、いくらお話としてはどうしようもなく荒唐無稽でくだらなく思われようと、それをなんとか分析してその根底にあるものを抉りだしたい、と思わずにはいられない私であるが、この「シチリア島」についてはお手上げです。というか、あれこれほじくり返しても自らの父性嫌悪を見るだけなので興味が持てない、というのが正直なところでしょうか。まあ人はどう思うか知らないが、いずれにしてもこのオペラが人気がない理由の一つではあるだろう。
それと関連するが、登場人物は決して多くはないのに物語が錯綜した印象を与えるということ。これはスクリーブの台本の拙さによるところが大きいと思われますが、音楽の側から言えば、この台本の冗長さは結果としてシェーナの長大化と充実をもたらした部分もあって、必ずしもこの作品の弱点とばかりは言えません。しかし、それまでの簡潔なシェーナとアリアを基本としていた初期作と比べると、興行的には間違いなくマイナス要素ではあります。
それからなんといっても第3幕のバレエが長くて退屈。ざっと30分くらい掛りますが、これはパリでの初演を目指していたヴェルディの迎合としか思えません。かといって、これをカットしてしまうと、全5幕の構成がバランス悪くなるのも事実。つまり、序曲を除くと第1幕と第2幕でほぼ1時間、第3幕がバレエ込みで同じく1時間強、第4幕と第5幕で1時間強と、2回の長い幕間を入れるのに丁度良い長さになっていて、バレエ抜きの第3幕はその内容の重さから前後にくっつける訳にもいかず中途半端というわけです。
欠点ばかり書いたけれど、音楽的には初期から中期への産みの苦しみが随所に見られ、それが独特の魅力となっています。繰り返しになるが、なんといってもそのシェーナ(レチタティーヴォ)の多様さと充実がそれまでの作品とは一線を画しています。シチリア人とフランス兵の対立を音楽であらわそうと多様な試みがなされていますが、「仮面舞踏会」や「ドン・カルロス」で完成され、「アイーダ」で頂点に至る壮大で立体的な合唱のスタイルはまだ確立されていません。どちらかといえば因習的なカヴァティーナ・カバレッタ形式の楽曲も多いが、それからの脱却の試みは随所にみられ、(物語の進行上仕方ないとはいえ)男声の二重唱によるフィナーレや、二重唱に埋め込まれたベルカント様式のロマンツァなど新しい試みに満ちています。ヴェルディ自身はパリの聴衆の好みに合わせて不本意ながら書いた部分もあろうし、拙い台本に苦労して書いた部分もあるのでしょうが、結果としてはそれまでにない音楽を生みだすことになったようです。まさに、瑕も多いが天才的な音楽、という猫またぎなリスナーがもっとも愛するタイプの音楽。

お話がくだらない、とは云え、なかなか上演の機会のないオペラですので、すこし幕を追って物語とその音楽的な特色について詳細を書いてみたいと思います。
【前奏曲】
これは有名なので私があれこれ書く必要もないでしょう。一般に「序曲」と呼ばれるがスコアにはPreludio(前奏曲)と記されています。流麗な旋律とシンフォニックな構えの大きさが同居する素晴らしい音楽。

【第1幕】
第1曲:導入と合唱 Introduzione-Coro
シチリア人の群衆とフランス兵達で賑わうパレルモの広場。1282年、シチリアはフランス軍の占領下にあった。独立を目指すシチリア人達の不穏な動きを知らず、フランス兵達がシチリア女に好色な視線を送りながら楽しげに歌う。
対立するフランス兵とシチリア人の合唱だが、こういった対立を壮大な合唱の中で対位法を用いて立体的に表現するのはもう少し後、「仮面舞踏会」のあたりからであり、ここでは未だ因習的な合唱に留まっているという他ありません。
第2曲:シェーナと合唱附きカヴァティーナ Scena e Cavatina con Cori
エレーナ公女登場。フランス軍の総督モンフォルテに兄を殺された彼女は虐げられたシチリア人たちの統一のシンボル、心の拠り所となっている。フランス兵達にからかわれ、歌をうたうよう強要された彼女は抗う侍女をたしなめて歌う。しかし、シチリア人の反乱を誘うようなその歌に、その場は一触即発の不穏な空気に満ちて行く。
この壮大なシェーナと合唱附きカヴァティーナは中期特有の油ののりきった仕事という気がします。カバレッタの至難なアジリタは初期の流れをくむもの。
第3曲:シェーナと四重唱 Scena e Quartetto
そこに総督モンフォルテが登場、その尊大な威圧感を前に、シチリアの人々は圧倒される。
エレーナ公女、侍女ニネッタ、シチリアの若者ダニエーリ、モンフォルテの四重唱だが、物語としては無くもがな、アカペラで始まる四重唱は、ヴェルディにしては意余って力足りずというところ。
第4曲:シェーナと二重唱、第1幕のフィナーレ Scena e Duetto-Finale Primo
謀反の咎で獄に繋がれていたシチリアの若者アッリーゴが登場し、エレーナとの再会を喜ぶ。実はアッリーゴはモンフォルテがかつてシチリア女に産ませた実の息子であり、それゆえ刑を免れたのだがアッリーゴはその事実をまだ知らない。モンフォルテはフランス軍に降るようアッリーゴを説得するも、彼はモンフォルテへの憎しみもあらわに肯んじない。モンフォルテは血気に逸るアッリーゴを愛情に満ちた父のまなざしで見守る。
新機軸が一杯。第1幕フィナーレがテノールとバリトンの二重唱というのも大変面白いが、そのカヴァティーナにおいて、旋律が伴奏にでて歌はずっとパルランドで歌う。この種のレチタティーヴォ様式の完成は「シモン・ボッカネグラ」改訂版以降に持ち越されるにしても、そのアイデアはここに出つくしているように思います。旋律を歌わないカヴァティーナはもしかすると父であることを隠して心にもない威嚇を息子に与えるモンフォルテの立場を表すものか。台本が整理されていなくてレチタティーヴォがやたら長いのを逆手にとって、ヴェルディは次第にレチタティーヴォの真の威力というものに開眼していったのだろうと思います。後半のカバレッタではステロタイプではあるが白熱した音楽が興奮をもたらします。「シモン」や「マクベス」の改訂版でも初期稿を敢えて残すことで同じような効果が如何なく発揮されていたのを思い出します。

【第2幕】
第5曲:前奏曲、アリアと合唱 Preludio,Aria e Coro
シチリア人達の精神的指導者ともいうべきプローチダが亡命先からシチリアに戻り、祖国への愛を歌う。ついで仲間にアッリーゴを探しに行かせ、シチリア人の蜂起を呼び掛けるカバレッタを歌う。
中期のヴェルディらしい深みのあるカヴァティーナ。オーケストレーションの深化が素晴らしい。カバレッタは合唱附き、半音階的な音形と初期の面影を残す紋切り型の伴奏が交替します。
第6曲:シェーナと二重唱 Scena e Duetto
アッリーゴとエレーナ公女が登場、アッリーゴはプローチダの蜂起の呼びかけに応じる。エレーナはアッリーゴに兄の仇を討ってくれたなら貴方のものになりましょうと歌う。エレーナとアッリーゴの二重唱。
シェーナが充実の書法。レチタティーヴォとアリオーゾの融合したスタイルです。アレグロ・アジタートに転じて、エレーナとアッリーゴとの迫力ある二重唱に流れ込むが、長くは続かず、流麗な初期のスタイル(アレグロ・ジュスト)となる。二重唱後半は溜息のモチーフによるラメント、終盤のレチタティーヴォ風の二重唱はすでに「シモン・ボッカネグラ」の世界を先取りしてします。大義と恋に引き裂かれる二人、これは内容的に愛の二重唱とは言いかねるところもあるが、これこそが中期のヴェルディの描く愛なのだろう。
第7曲:レチタティーヴォ Recitativo
フィナーレへのブリッジとなる短いレチタティーヴォ。アッリーゴはフランス兵に強引に連れ去られる。動揺するエレーナにプローチダは反乱の準備が整いつつあることを囁く。
第8曲:第2幕のフィナーレ Finale Secondo
シチリアの若者達の結婚の宴、激しいタランテッラのリズム。現われたフランス兵達はシチリアの女達を凌辱し連れ去る。遠くから聞こえるフランス兵達の楽しい水上の宴の音楽にのせて、エレーナ、プローチダ、シチリア人たちは復讐を誓う。
強引な場面展開がますますお話のダメさを強調するかのようですが、それはともかく音楽は「仮面舞踏会」風のところもあって聴きごたえがあります。陰謀を企むシチリア人の合唱に続いてフランス人が楽しげに歌う舟歌、やがてそれらが重なり合う展開は、後の立体的な合唱にあと一歩というところながら、未だ確固たるスタイルを見いだせずにいる感じがします。この「過渡期感」がなんとも魅力的ではあります。
第3幕以降は次回に。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-06-23 14:04 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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