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ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮(その4)

ことしのエイプリル・フール企画ではマンツーマン英会話レアジョブの「ペット向け英語習得レッスン提供開始」
というのが面白かった。

 『対象
  犬 猫 
   ※年齢、犬猫種は問いません
  (中略)
  概要
   講師はフィリピン大学で生物学を専攻している学生および卒業生です。
   また、レッスンは現在、初級コースのみのご提供となり、
   簡単な英単語「one」(ワン)「near」(ニャー) などを学習していただきます。』

個人的には「フィリピン大学」云々と、画像のヘッドフォンの付け方が雑なところに妙な脱力感を覚えるww。
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今日は「東京・春・音楽祭」の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1日目だが、私は7日の公演を聞く予定。その前に、先日3回に亘ってザックスの「迷いのモノローグ」と「ニワトコのモノローグ」を題材にしてちょっと詳細な分析を試み、それで予習記事は終わりにしようと思っていたのだが、更にどうしてもこれだけは書いておきたい、と思うことがあり、今回の4回目となった次第。
第3幕、ザックスがヴァルターにマイスターの歌の様々な規則を教える場面、ヴァルターが歌う「夢解きの歌」は変則的なバール形式(A-A'-B)に則っているが、そのBの部分(譜例20)。歌詞で言うと、Sei euch vertraut, welch hehres Wunder mir geschehn以下、「愛の動機」の変形によるこの部分は何度聴いても素晴らしいのだが、ここで問題にしたいのは、同じ歌が少し後の場面、一旦部屋に戻ったヴァルターが今度はエーヴァの前に現われ、「夢解きの歌」第3節を歌う、同じBの部分(譜例21)。歌詞はHuldreichstes Bild, dem ich zu nahen mich erkühnt!以下。
(譜例20)
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(譜例21)
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ここ(譜例21の7小節目)にbの音(シのフラット)が書かれているだけで音楽の色合いが随分かわる。このbの音を聴くと私は胸が締め付けられるような気持ちになる。たった一つの音の有る無しでこんなに音楽の聞こえ方が、否、音楽の意味が異なってくるのだ。例えて言えば、譜例20のほうは、まさにドイツ・ロマン派の音楽。シューベルトやウェーバー、シューマンを経て此処に至る初々しいロマンの香りが凝縮された音楽だが、譜例21のほうは、「後期ロマン派」と呼ぶにふさわしい陰りのある、官能をくすぐる音楽。それはワーグナーの後、マーラーを経てシェーンベルクに真っすぐに続いていく流れであり、その源流は恐らくフランツ・リスト(の1850年代以降の音楽)にあるのだろうというのが私の見立てだが、それはともかく、それぐらいこの「夢解きの歌」の第1・2節と第3節との間には大きな差異があるのだ。
ドラマの進展という意味で、「夢解きの歌」第1節、第2節のロマンティックな音楽と第3節で現われるbの音がどういう意味を持つのか。ザックスの導くままに「夢解きの歌」を歌う第1節、第2節のヴァルターは、まだ自身の中にある芸術の萌芽を完全には開花させていない。第2幕の大混乱を経て、少しは思慮深くなったかも知れないが、基本的には血気にはやる若者のままだ。しかし、ヴァルターが一旦退場し、ザックスとべックメッサーのやりとり、次いでザックスとエーヴァのやり取りが続く間に、明らかにヴァルターは成長している。何かと言えばすぐに剣に手を掛け、駆落ちしてでもエーヴァをものにしようとしていた若者ヴァルターは、わずかの間に、ザックスに敬意を払い、正々堂々と歌合戦に勝ってエーヴァを妻に迎えようとする、真の愛を知る男になった感じが、このbの一音に込められている。一方のエーヴァがザックスに導かれるかたちで、ただの金持ちの我儘娘から愛を知る大人の女へと変貌することは、このシリーズその2の回で譜例10の引用とそれに続く記述で触れた。本当にワーグナーの音楽が素晴らしいと思うのは、テクストだけでなく音楽そのものでこういった心の軌跡(心の成長と言ってもいいが、これはまさにビルドゥングスロマンの本質である)を描くことが出来たからだと思う。ヴァルターの「夢解きの歌」第3節のbを、ワーグナーがそれと意識して書いたかどうかは誰にも判らない。だが、意識的であれ無意識的であれ、その一音の意味するところは注意深い聴き手に間違いなく伝わるはずだ。
それにしても、こんな枝葉の、瑣末なこと、たった一つの音符にこだわって長大なオペラを聴く、ということが果たして「正しい」アプローチなのか、自分でも若干疑問なしとしないところだが、多少の自負を込めて言えば、これが猫またぎ流の聴き方なのだ。
(この項終わり)
by nekomatalistener | 2013-04-04 23:54 | CD・DVD試聴記 | Comments(2)
Commented by schumania at 2013-04-05 00:06 x
今日のマイスタージンガー、気になる点が無かったとは言わないですが。良かったですよ〜 ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
でも、フォークトについては、新国のローエングリンの時のような超絶的に突き抜けた存在感はないですね。この役どころでは。
Commented by nekomatalistener at 2013-04-05 21:01
私の場合、昨年のフォークトのローエングリンが好みではありませんでしたので、逆に今回のヴァルターには期待するところ大です。爆弾低気圧とやらが気になりますが、あさって日曜日に行ってまいります。
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