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ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮(その2)

「マイスタージンガー」第2幕、一旦侍女と姿を消したエーヴァが戻ってきたときのヴァルターの台詞、”Doch ja, sie kommt dort?”が、「どっひゃ~」としか聞こえない。もっとも「どっひゃ~あの娘やっぱり来たで~」という意味なのであながち間違いではない(違)。




さて、前回、第3幕の前奏曲と、続くザックスの「迷いのモノローグ」の主要な動機となっている旋律が、第2幕の「靴造りの歌」に由来しているのを見ましたが、第3幕のモノローグ以降の場面で同じ動機がどのように使われているかを検証してみます。
昨夜の乱闘騒ぎを辛くも逃れてザックス邸で一夜を明かしたヴァルターが工房に現われると、何としても彼に歌合戦で優勝してもらいたいザックスは、マイスターの歌の規則を彼に教えます。ザックスに導かれるままにヴァルターが「夢解きの歌」の第1節を歌い終わると、例の動機が現われます(譜例6)。ザックスは中年とはいえまだまだ男ざかり、前の日エーヴァから結婚相手として「男やもめのザックス親方では駄目なの?」などと囁かれたザックスはついその気になるものの、エーヴァがヴァルターに真の愛情を抱いていることを見届け、自分の恋を諦めます。台詞には何もそのようなことは書かれていないが、音楽がそのことを雄弁に語っています。
(譜例6)
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ヴァルターの素晴らしい歌に心底感動したザックスは第2節目を促し、ヴァルターが歌い終わるとまたしても例の動機が姿を見せます(譜例7)。しかしここでは動機は短縮され、ほのめかす程度に扱われている。
(譜例7)
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第3節を歌うことを断ったヴァルターに対し、ザックスは決然と「では、言葉はしかるべき場所で行為とともに示しなさい!」と言いますが、動機は殆ど原型をとどめずに決然たる調子にモディファイされています(譜例8)。
(譜例8)
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その後、ザックスとべックメッサーのやりとりの後、ザックスの工房にエーヴァが現われ、靴の修理にかこつけてヴァルターのことを気にしていると、ヴァルターが歌の第3節を歌いながら登場します。気付かぬふりをして靴を直すザックス。ここで例の動機が一瞬現われたのち(譜例9)、ただちに「靴造りの歌」に変化し、苦い諦念が笑いの世界に溶けていきます。実は私、ここからのザックスの歌は涙なしには聴くことができません。見事な音楽ですが、しかしどちらかといえば芸術的所産というよりは精緻な職人芸の世界という気もします。ただし、それはワーグナーの作曲法を貶めるのではなく、これほどの膨大なスコアが動機というさまざまな縦糸と横糸を撚り合わせたように造られているのは驚異的といってもよい事象ではあります。
(譜例9)
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感極まったエーヴァがザックスの計らいに感謝して”O Sachs! Mein freund! Du teurer Mann!”(ああ、ザックスさん、大事なお方!)と叫ぶところにも例の動機が潜んでいて、この「迷い」はエーヴァ自身のものでもあったことが判ります(譜例10)。
(譜例10)
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そこからエーヴァの長いソロが始まりますが、次第に強まる半音階的色彩はエーヴァの精神的成長を物語るかのよう。”Doch nun hat's mich gewählt zu nie gekannter Qual”(しかし、いまの私は思いもよらぬ苦しみを味わわされている身です)に至って、殆ど「トリスタンとイゾルデ」と見紛うばかりに音楽が上り詰めると、ザックスが「ハンス・ザックスは賢明だったから、マルケ王のような仕合せは望まなかったのだよ」と、「トリスタン」の引用にのせて歌います。
なんという音楽!これが喜劇か、と少しばかり空恐ろしくなるほど。その後、場面はいよいよ歌合戦の場へ。群衆に向かってザックスが開式を告げる場面、「あなた方の気持は軽いでしょうが、私の心は重くなります、私のような哀れな者に、あまりの栄誉が与えられますと。」という箇所でまたしても例の動機(譜例11)。
(譜例11)
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そしていよいよ大詰め、見事勝利とエーヴァとの結婚を勝ち取ったヴァルターを指して、ザックスが群衆に「どうです、私の選んだ証人に間違いはなかったでしょう!」というところにも動機がちょっと現われます(譜例12)。未練がましいといやぁ未練がましい、しかし人間の心理を丁寧に音で追いかければこういうことになるのでしょう。
(譜例12)
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以上見てきたようなことは、もちろん知らなくたって一向に観賞の妨げにはなりませんが、知っているのと知らないのとではやはり作品の受け取り方が違ってくるように思います。「迷いの動機」ひとつとってもこの調子ですから、正味4時間半の音楽を動機レベルで分析していけばとんでもないことになるのですが、それにしても「マイスタージンガー」に続く「ニーベルングの指輪」に至っては、4夜に亘って繰り広げられる長大な全曲がこのような「動機」の網目として作曲されていて、本当に筆のすさびで書き流したような小節が一つもないとさえ思われます。「トリスタン」にしても「指輪」にしても、うねるような音響の渦に巻き込まれ、忘我の境地を漂うのも一つの「聴き方」ではあると思いますが、一度は知的な分析という過程を経るのも悪いことではないと思います。
「マイスタージンガー」にどれほどの動機が使われているかは、ちょっとネットなどで解説を当たれば判ることですので、次回はあまり言及されていない(と思われる)動機を取り上げながら、有名な「ニワトコのモノローグ」について書いてみたいと思います。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-03-18 00:26 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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