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ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮(その1)

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に何度も出てくる”Fanget an!”(始めよ!)という旋律、ファーンゲターーンというのを参鶏湯(サームゲターーン)と空耳。ほら、もう、そうとしか聞こえなくなったでしょ(悪魔の笑み)。



4月の「東京・春・音楽祭」の目玉はなんといっても「ニュルンベルクのマイスタージンガー」公演。ワーグナー生誕200年に相応しいその公演で特に目を惹くのはヴァルター役をフロリアン・フォークトが歌うこと。昨年の6月に新国立劇場で彼の歌うローエングリンを聴いて、その類稀な才能に驚嘆しながらも、どうしてもその声質が好きになれなかったことは以前このブログにも書きました。にもかかわらず「マイスタージンガー」のチケットを買ったのは、いま間違いなく旬の真っ最中のフォークトをもう一度聴いておきたかったのと、どうして(世間であれほどもてはやされていたのに)私が好きになれなかったのかを分析してみたいと思ったから。

とりあえずフォークトのことは措いといて、ワーグナーの音楽をじっくり予習してみたいと思います。正味4時間半に及ぶ超大作を短期間で隅々まで把握するのはとても無理な話ですから、CDを聴きながら、ことさら耳に残る小さな部分、音楽用語でいうところの「動機(モチーフ)」レベルで、私の心を掴んで放さない些細な部分にこだわって、感じたことを数回に分けて書いてみたいと思います。
同時に、いままでこのブログでワーグナーを取り上げた際に、その物語に見られる謎のようなものについて、色んな思考の補助線を引きながらとりとめもないことを書き連ねてきた訳ですが、今回はそういった素人談義は止めて、最近買ったテオドール・W・アドルノの『ヴァーグナー試論』(高橋順一訳、作品社)を少しずつ読み進めながら、特に「マイスタージンガー」の理解に資するところについて書きとめてみたいと思っています。
今聴いている音源は下記の通り。

   ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲
   ハンス・ザックス: テオ・アダム(Bs-Br)
   ファイト・ポーグナー: カール・リッダーブッシュ(Bs)
   クンツ・フォーゲルゲザンク: エーベルハルト・ビュヒナー(T)
   ジクストゥス・べックメッサー: ジェレイント・エヴァンス(Br)
   フリッツ・コートナー: ゾルタン・ケレメン(Bs)
   ヴァルター・フォン・シュトルツィング: ルネ・コロ(T)
   ダーヴィット: ペーター・シュライヤー(T)
   エーヴァ: ヘレン・ドナート(Sp)
   マグダレーネ: ルート・ヘッセ(Ms)
   夜警: クルト・モル(Bs)
   ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ドレスデン国立管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)
   ドレスデン国立歌劇場合唱団・ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮ホイスト・ノイマン)
   1970年11月24~30日&12月1~」4日ドレスデン聖ルカ教会にて録音
   CD:EMI CLASSICS TOCE11390-93

カラヤンといえば、「アンチ・カラヤン」という言葉があるくらい、嫌いな人は嫌いな訳ですが、この録音に限って言えば本当に歴史的録音といってもよい超弩級の名演という気がします。何より凄いのはシュターツカペレ・ドレスデンの質実剛健という表現がぴったりなその音色。もしカラヤンがベルリン・フィルでこの作品を録音していたならこれほどの成功は納められなかったのでは、と思います。当時共産圏であった東ドイツで、ある意味コマーシャリズムの呪縛から逃れて独自の進化をしたシュターツカペレの魅力は、既に語りつくされているのかもしれませんが、私も賛辞を捧げずにはいられない。その温かみのある、木肌のような手触りの音はもしかしたら現代では既に幾分失われていて、この「マイスタージンガー」の録音に辛うじて往年の素晴らしさを聴くことができるだけなのかも知れません(普段オーケストラをあまり聴かないのでえらそうなことは言えませんが)。カラヤンは敢えてこのオーケストラの音色を磨き上げるのではなく、またスタイリッシュな指揮というよりもドイツの伝統に則した指揮に徹することによって、真にオーセンティックなワーグナーの演奏を作り上げています。
歌手達はもう言うことなし。人間的な魅力に溢れるテオ・アダムのザックスと、天馬空を行くようなルネ・コロのヴァルター、お転婆だった金持ちの娘が物語の進展に合わせて真の愛情に目覚めた女性に変貌していくヘレン・ドナートのエーヴァ、厭らしい敵役でありながらもどこか憎めないエヴァンスのべックメッサー、いずれも素晴らしい。モーツァルトやバッハを端正に歌う歌手、というイメージの強いシュライヤーが、おっちょこちょいの靴屋の徒弟ダーヴィットを楽しそうに、しかも主役を決して食ってしまわないように歌っているのも好ましい。このオペラにはフルネームを与えられた多くの職人達が現われますが、いずれも所を得た歌手ばかりで、けっして上手すぎないのが役柄に見あっていて素晴らしいと思います。合唱も然り。あまり沢山聴いている訳ではないけれど、これはカラヤンの残した夥しい録音の中でも、「ばらの騎士」の旧盤などと並ぶ傑作ではないでしょうか。

カラヤンとシュターツカペレの恐るべき表現の深さという意味で、次の箇所を挙げておきたい。第3幕の前奏曲の、3/2拍子が一小節はさまった直後のフォルテッシモの部分(譜例1)、ワーグナーの膨大なスコアの中でも出色の部分だと思うが、これをカラヤンとシュターツカペレは聴き手の魂を揺さぶるかのように鳴らす。私の貧しい言葉では表現のしようも無いが、もし私が指揮者だとしたら、オーケストラからこんなフォルテッシモを引き出すことが出来たなら死んでもいい、とすら思うだろう。
(譜例1)
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このホ短調の主和音にCisを重ねた和音で始まる特徴のある音形は、世間では「迷いの動機」などと呼ばれていて、第3幕のザックスの「迷い(迷妄)のモノローグ」に出てくるのだが、実は第2幕にも意義深い登場の仕方をしていることに気付いたのでちょっと拾い上げてみたい。
まず、譜例1の当該箇所の低音だが、Cis-Dis-E-Fis-G-A-Hと上昇する音形。次に第2幕ザックスの「靴造りの歌」の第1節、”Als Eva aus dem Paradies”(エーヴァが楽園から神様に追い出されたとき)の低音(譜例2)を見てみると、E-Fis-G-A-B-C-Dとなっていて、ホ短調(前奏曲)とト短調(靴造りの歌)の違いはあれど同じ音形。これで「迷いのモノローグ」は実はザックスが創世記のエーヴァ(イヴ)にことよせて密かに想いを寄せるエーヴァへの恋心を歌っているということが判る。
(譜例2)
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「靴造りの歌」第2節の同じくだりの歌詞は”O Eva!Eva!Schlimmes Weib”(おお エーヴァ ひどい女よ!)というもの。そして第3節”O Eva!Hör mein' Klageruf.”(おお エーヴァ !わしの嘆きを聞いとくれ!)(譜例3)でついに譜例1の上声部の旋律が現われる(伴奏部の一番上の段)。
(譜例3)
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これが第3幕の前奏曲冒頭、そしてザックスの「迷いのモノローグ」に変奏されていくのだが、この第2幕の「靴造りの歌」における素材の「仕込み」は周到を極めていて、かなり聴き込まないと判らないように仕組まれている。ザックスの歌を聴いてエーヴァは思わず、”Mich schmerzt das Lied, ich weiß nicht wie!”(なぜだか、あの歌を聞くと心が痛むの!)と歌うが、この台詞に附けられた音楽の内声にも同じ旋律が書き込まれている(譜例4)。
(譜例4)
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第3幕の前奏曲は、少し後に出てくる「迷いのモノローグ」の素材から作られている、とする解説が多いようだが、ちょっと仔細に調べれば実は第2幕の「靴造りの歌」、もはや若い女の恋愛の対象からは外れてしまった中年男のやるせない歌からの引用であるということがこれで判りました(譜例5は前奏曲の冒頭)。
(譜例5)
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では、同じ旋律が第3幕、前奏曲と「迷いのモノローグ」以外の部分でどのように使われているか、これがまた分析すればするほど面白いのだがちょっと長くなるので続きは次回に。
(譜例はIMSLPからダウンロードしたマインツのB. Schott's Söhne社の1868年初版のヴォーカルスコアで、ピアノ伴奏の編曲はなんとかの歴史的ピアニスト、カール・タウジヒによるもの。引用した対訳は音楽之友社のオペラ対訳ライブラリーのものを使わせて頂きました)
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-03-14 00:01 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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