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ワーグナー 「タンホイザー」 ハイティンク指揮バイエルン放送交響楽団 

マイナビニュース「人生の悩み」より
「猫が毎朝おこしにきてくれます。
それはうれしいのですが、起こし方が毎回変わっていて、自分の小さなピンクの鼻を私の鼻の穴に押し込んで「プピー」と音を鳴らして遊んだり、会社に持っていっている3キロくらいの重さのかばんを運んできて私の顔の上に乗せたり、あとカリカリを口の中にいれて、私のTシャツの中にもぐりこんでおなかの上に置いていったりします。 かわいいのですが少々困っています。どうすればよいでしょうか?」
う・・・ちょっとうらやましい。




ちょっと事情がありまして長らく更新が出来ませんでした。ぼちぼち再開しますのでよろしくお願い申し上げます。
新国立劇場で今月「タンホイザー」が上演されるのに先立ってちょっとばかり予習をしております。音源は次の通り。

  タンホイザー: クラウス・ケーニヒ
  エリーザベト: ルチア・ポップ
  ヴォルフラム: ベルント・ヴァイクル
  ヴェーヌス: ヴァルトラウト・マイヤー
  テューリンゲン方伯ヘルマン: クルト・モル
  ヴァルター: ジークフリート・イェルザレム
  ベルナルト・ハイティンク指揮バイエルン放送交響楽団・合唱団
  1985年1月2~13日録音
  CD:EMI6 40800 2

以前にも何度か書いた通り、私のワーグナー体験というのはすごく偏りがあって、「タンホイザー」も全曲通して聴いたのは初めて。以前「ローエングリン」について書いた際に、その不条理極まりない物語の理解のためにパゾリーニから聖書まで雑多な思考の補助線を引いた挙句、すっかりとっ散らかしてしまったのと対照的に、こちらは物語そのものは「エロス(=ヴェーヌス)讃歌」というシンプルな構造を持っており、「純愛による救済」という(とってつけたような)テーゼを横に措いておくととても判りやすい。
「タンホイザー」理解の極端な姿として今回是非とも取り上げたいのが、オーブリー・ビアズレーの「ウェヌスとタンホイザーの物語」(邦訳『美神の館』澁澤龍彦訳 光風社出版)という未完の小説。オペラではヴェーヌスベルクでタンホイザーがどんな生活を送っていたのかは判然と描かれてはおりません。ビアズレーはこの点に着目した訳だが、出来上がった代物は耽美的ポルノグラフィーといった趣の作品。たとえば訪れたタンホイザーをヴェーヌスが晩餐に誘い、侍女や侍童たちが淫らな歓待を行なうこんな場面。
「プリアプサは、硝煙の匂いを嗅いだ老いたる軍馬のように鼻息を荒くし、ウェヌスとタンホイザーを交る交る刺激し、その舌を二人の峡谷の奥にまで差しこんで、ついに騎士の溢れ出るものを口中に享けるまでは、いっかなその動きをやめることを肯じなかった。クロオドはチャンスをとらえると、テーブルの下にもぐりこみ、テーブルの向う側の女王の長椅子の下にひょっこり顔を出し、女王が「あれ!」と言う間もあらばこそ、あの「二本の円柱」のあいだの甘露を啜っていた。」
タンホイザーはナルシストとして、あるいはペデラストとしても描かれている。彼がお付きの少年たちと湯浴みしながら戯れる場面はこんな感じ。
「少年が能動的な姿勢をとりたがっているように思われたので、タンホイザーは気前よく受身の姿勢になってやった。この寛大な振舞いによって、騎士はすっかり浴室係の少年たちの心をつかんでしまった。浴室係の少年というよりもむしろ、騎士がそう呼んでいたように、「可愛いお魚」と呼ぶべきであったかもしれない。彼らは騎士の脚のあいだを泳ぎまわることを大そう好んだからである。」
だが、前後の部分は露骨すぎて引用を憚られるほどだ。
一方のヴェーヌスには一角獣との世にも不思議な獣姦の場や、あろうことか朝のお通じにまつわるスカトロジカルな場などが出てくるが、これもかなり露骨な描写が続くので割愛。興味のある方はぜひ手にとって読んでほしい。未完の作品故唐突に終わるのだが、1898年に25歳で夭折したビアズレーがもし長生きして続きを書いていたとしたら、おそらくワイルドの耽美的世界とサドの「悪徳の栄え」を綯い交ぜにしたような作品になっただろうと思います。こういう作品における澁澤龍彦の翻訳は本当に偉業と呼ぶに相応しいと思います。サド侯爵の翻訳に比べると目立たないものですが、これをごく一部の好事家だけのものとするのはもったいないと思います。
オペラにおけるタンホイザーが、ヴァルトブルクに戻ってからもヴェーヌスベルクでの出来事が忘れられないのも、こういった酒池肉林の宴があったとすれば納得がいくというもの。歌合戦の場面でヴォルフラムやヴァルターたちの歌がなんとも生彩を欠くように思われるのも、第3幕でヴォルフラムが歌う感動的な「夕星の歌」が実は金星(=ヴェーヌス)への呼びかけであるという奇妙な事実も、このオペラがエロス讃歌であると思えば納得が行きます。それを平たくいえば「爛れるような官能の世界を知らないものには芸術はわからない」ということになるのでしょうか?ワーグナーのすごいところは、このあと「トリスタン」へ長足の進歩を遂げることで、まさに「タンホイザー」で予告した「官能の帝国」を実際に作り上げたことだと思います。

ハイティンクのCDに関して少しだけ書いておきたい。まずハイティンクの指揮だが、根本的にワーグナーの演奏に向いていないのでは、と思わざるを得ないところがあります。冷徹なほどよく整理された音楽には感嘆しながらも、およそエロティシズムの欠片もない醒めた演奏にはやはり燃えないのである。それでもこのCDに価値があるとすれば、それはなんといってもルチア・ポップの歌うエリーザベトの表現に尽きるだろう。もともとワーグナーを得意とする歌手ではないので、例えば第2幕第1場など、些か苦しいところもあるのだが、第3幕の歌唱は、本当に真実に溢れたエリーザベトだと思います。このオペラをエロスへの讃歌と捉えると、どうしてもエリーザベトという人物の造型に無理が出てしまうことが予想されますが、ポップの歌唱はそんな小賢しい解釈などぶっ飛ばすほどに優れたものです。その他の歌手達ではタンホイザーのクラウス・ケーニヒはちょっと癖があって好き嫌いが分かれるところでしょう。私はとても立派な歌唱だと思いました。ヴォルフラムのベルント・ヴァイクルも優れています。ヴェーヌスのヴァルトラウト・マイヤー、方伯のクルト・モルはまずまず、といったところ。ちょい役のヴァルターをジークフリート・イェルザレムが歌っているが、まだこれが録音された当時は駆け出しだったということでしょうか。それなりの歌でしかないところが面白い。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2013-01-16 23:35 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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