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ワーグナー 「ローエングリン」 ケンペ指揮ウィーン・フィル(その2)

魔法の言葉。缶コーヒーの「ルーツ」飲むと、心の中でクンタ・キンテとそっと呟く。



前回の続きです。
前回は専ら物語りのことばかり書いて、音楽そのものには殆ど触れることができませんでした。まだどこかウェーバー風の尻尾を引きずっていた「オランダ人」と比べると長足の進歩というか、すっかりどこを取ってもワーグナーの音楽になっているのが凄いと思う。その分、各幕の長さも半端やないですが・・・。もう少し正確に言えば第1幕と第2幕の幕切れ近くのコンチェルタート様式は若干伝統的なオペラ書法という気もするが、これとてとんでもなく長く、複雑に引き伸ばされているので誰かの亜流という感じはしない(ただしこの長さについてはマイアーベーアの影響などが多少あるのかも知れないが・・・)。

このケンペという指揮者、日本だけの現象かも知れませんが、レパートリーという点でベームと被ってしまい損をしている感なきにしもあらず。しかしながら実に立派な演奏。ウィーン・フィルの音圧に乗っかっただけの演奏ではなくて、ヴォーカル・スコアを見ながら聴くとそのリズムの自在さ(あるいは音価の伸縮といったほうが良いか)に思わず唸ってしまう。第3幕第3場の白熱の前奏などはブラスが落ちる寸前でスリリングだが、かっちりしたのがドイツ風と思っている向きには目から鱗だろうと思う。この自在さと熱狂の両方があってこそのドイツロマン派なのだろう。ワーグナー然り、ブルックナー然り。これはマーラーに必要な精密さとはちょっと趣が異なるのだろう。音楽としてはブルックナーとマーラーはそれぞれ密接にワーグナーと結びついているが、演奏家の観点に立てば、ワーグナー・ブルックナー・R.シュトラウスを得意とする人達と、マーラー・シェーンベルクを得意とする人達のあいだにはかなりはっきりとした区分がありますね。そんなこともこの演奏を聴いていると良く判ります。一昔前の演奏スタイルには違いないが、そこから得られる感動は途方も無く大きい。

歌手たちはいずれも大変優れていますが、オルトルートを歌うクリスタ・ルートヴィッヒとフリードリッヒを歌うディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウが特に素晴らしい。F=ディースカウが亡くなる前に買ったCDですが、聴き始めて間もなく彼の死のニュースを聞き、この上ない追悼の機会となりました。私はF=ディースカウの残した膨大な録音のごく一部しか知らないし、その中でも全てを肯定するつもりもない。例えば「トリスタンとイゾルデ」のクルヴェナールなどは、役柄と歌唱のスタイルが合わない例であると思う。しかしこのフリードリッヒは唯一無二というか、他の演奏を知らないのにこんなことを言うのも何だけれど、強烈な「負け犬の美学」を感じるのです。前回の投稿で、主役のローエングリンよりもむしろ人間的な魅力はフリードリッヒに注がれている、と書きましたが、聖性を帯びた童貞の騎士なんていう訳の判らん存在よりも、特段の落ち度もないのに悪役に仕立てられたフリードリッヒのほうにどうしても感情移入してしまうのは、もしかしたら初めて聴いたこのF=ディースカウの歌唱の所為かも知れません。この歌唱には雄々しさも女々しさも全て入っていて、切れば血の吹き出る人間の歌という感じがする。
例えば第1幕冒頭近く、エルザ告発の場を見てみよう(対訳はすべて「オペラ対訳プロジェクト」からの転載http://www31.atwiki.jp/oper/)

  Lustwandelnd führte Elsa den Knaben einst
  zum Wald, doch ohne ihn kehrte sie zurück;
  mit falscher Sorge frug sie nach dem Bruder,  
  da sie, von ungefähr von ihm verirrt,
  bald seine Spur - so sprach sie - nicht mehr fand.

  エルザは、少年を森への散歩に連れ出しましたが、
  一人きりで帰って来ると、
  さも心配そうに弟の行方を尋ねました。
  弟は道に迷って、
  足跡を見失ってしまったというのです。

と歌う所の表情の異常な細かさ、とくにso sprach sie の箇所、憎しみに顔が歪むような歌い方はどうだろうか。彼はこの前後の長い語りで、エルザの罪を告発する際には音程の歪みも厭わず感情を露わにし(こういう箇所ではごく僅かにピッチが上がり気味になる)、自らの権力継承の正当性を述べる際は朗々と、精確な音程で歌いあげる。
そうかと思えば、ブラバントの貴族達に軽率な行為をたしなめられて歌う次の箇所、

  Viel lieber tot als feig!
  Welch Zaubern dich auch hergeführt,
  Fremdling, der mir so kühn erscheint,
  dein stolzes Drohn mich nimmer rührt,
  da ich zu lügen nie vermeint.
  Den Kampf mit dir drum nehm' ich auf
  und hoffe Sieg nach Rechtes Lauf!

  臆病者と呼ばれるぐらいなら死んだ方がましだ!
  厚かましくも私の前に現れたよそ者よ!
  いかなる魔術がお前を連れてきたにせよ、
  生意気な脅し言葉など、いささかも気にならぬわ。
  私は嘘をついてなどいないのだから。
  私はお前との戦いに臨み、
  正義の裁きにより勝利を収めるつもりだ!

一人の人間としての虚栄も含めた誇りと隠しようのない不安、畏れに身震いしそうになる。前後で歌われるローエングリンの歌よりももっと、はるかにかっこよく聴いていて痺れる思いがする。ここはワーグナーの書法も天才的な冴えを見せている。
第2幕、オルトルートの讒言のせいで名誉を失ったと泣きごとを垂れる場面、

  Durch dich musst' ich verlieren
  mein' Ehr, all meinen Ruhm;
  nie soll mich Lob mehr zieren,
  Schmach ist mein Heldentum

  お前のせいで、私は名誉を失った・・・
  私の名声の全てを失ったのだ。
  もはや賞賛の声が私を包むことはなく、
  勇士としての名声は、恥辱にまみれてしまった。

特にこの歌詞の繰り返しの部分、まさに泣きごとを垂れる、という感じ、人間の弱さ、いやらしさを抉りだす歌の力に震撼させられる。あるいはオルトルートを非難して歌う次の箇所、

  Du! Hat nicht durch sein Gericht
  Gott mich dafür geschlagen?

  お前だ!だからこそ、私は打ち負かされ、
  神の裁きが下されたではないか?

もそうだ。
まだまだ続けたい。

  Wer ist er, der ans Land geschwommen,
  gezogen von einem wilden Schwan?
  Wem solche Zaubertiere frommen,
  dess' Reinheit achte ich für Wahn!
  Nun soll der Klag' er Rede stehn';
  vermag er's, so geschah mir recht -
  wo nicht, so sollet ihr ersehn,
  um seine Reine steh' es schlecht!

  野生の白鳥に曳かれた舟に乗り、
  この地に流れ着いた男は一体全体誰なのです?
  魔法じみた獣たちを従えている男が
  清らかですと??妄想としか思えません!
  この男の義務は、私の訴えに答えることです・・・
  そうできたなら、これまでの事も正義です。
  ですが、できないとなれば誰の目にも明らかでしょう!
  この男の清らかさとは、よこしまなものだということが!

第2幕、エルザとローエングリンの婚礼の行進をさえぎって王に訴える場面、まるでこの不条理極まりない物語の中で、フリードリッヒだけが唯一まともな人間のようではないか。ここで彼は条理を尽くして人々の狂気を告発するのだが、こういった場面において、F=ディースカウ以上に上手く歌える歌手がいようとは思えない。
そして何より戦慄すべき箇所、おそろしいまでの人間心理の解剖といった次の箇所、

  Lass mich das kleinste Glied ihm nur entreissen,
  des Fingers Spitze, und ich schwöre dir,
  was er dir hehlt, sollst frei du vor dir sehn,
  dir treu, soll nie er dir von hinnen gehn!

  あの男の体から、ほんの少しの部分でも切り取ってこい・・・
  指の先っぽでもよいのだ。
  そうすれば、あの男の隠し事がお前に明らかにされ、
  あの男はお前に忠実なまま、決して去って行くことはないはずだ!

ここまで人間は卑屈になるのか。絶望の淵でプライドも全てなげうって、敵であるエルザに頭を垂れて頼み事をする場面、痙攣で顔の筋肉がぴくぴくと動くのを目の当たりにするような、凄まじい歌唱。負け犬フリードリッヒ、かっこよすぎる。
正直なところ、最初にこんなフリードリッヒを刷り込まれてしまうのは不幸なのかも知れないと思う。真に芸術とは美しいものばかりで成り立っているのではないと痛感させられるのは良いとして、おそらくこの先、いかなるフリードリッヒを聴いても、まるで呪われたかのようにこの録音との比較をせざるを得なくなるだろう。
クリスタ・ルートヴィッヒも素晴らしい。ベームの「トリスタン」におけるブランゲーネと並んで理想的なワーグナーのメゾソプラノだろう。しかもかたや忠義の鏡のような侍女、かたや希代の悪女、その表現の幅の広さと強靭な声には驚嘆する。まったくこの二人の悪役夫婦のお陰で、ローエングリンとエルザがかすんでしまったほど。誤解の無いように言っておくと、ローエングリンのジェス・トーマスもエルザのエリーザベト・グリュンマーも立派な歌手です。まったく脇の二人が凄すぎるのであって、決して主役たちが弱いというのではないと思います。

脱線するが、この第3幕第3場の前奏って正にジョージ・ルーカスの映画みたいですね(有名な第3幕の前奏曲じゃないですよ、エルザが禁問の誓いを破った後の夜明けの場面のほうです)。夜が明けて次々と兵士が集まってくる、やりようによってはスペクタクルな場面ですが、これを聞きながらジョン・ウィリアムスがスターウォーズやインディー・ジョーンズの音楽を書いた時の念頭にこの場面があったのでは、と夢想してしまいました(もちろん根拠はありませんが・・・でもこの旋律をふた捻りぐらいすると「ジュラシック・パーク」のテーマになるw)。ジョン・ウィリアムスのクラシカルな部分と、ワーグナーの好戦的といってもよい音楽がはるか時空を超えて共鳴している感じです。私はと言えば、すっかり若き日の(いささか中途半端であった)ワグネリアンの血がまたぞろ騒ぎ出して困っています。何が困るって、この血沸き肉躍る戦いの音楽を聴いてさえ涙腺が壊れそうになるから。来週新国立に行くんだけどどうしたものか(笑)。
by nekomatalistener | 2012-06-07 20:51 | CD・DVD試聴記 | Comments(3)
Commented by schumania at 2012-06-13 05:32 x
ローエングリンの稿、全てに納得できたわけではないものの、いつもながらの濃密な内容とその背景にある途方もない該博さに脱帽です。只今、出張で横浜に来ており、今晩、新国のローエングリンに行きます。通り一遍の知識しか持たない私には、またとない興味深い予習となりました。
Commented by nekomatalistener at 2012-06-14 00:08
コメントありがとうございます。13日の公演についての備忘は明日にでも投稿します。今日はもう遅いので寝ます(笑)。
Commented by schumania at 2012-06-14 00:30 x
いや、今思い返しても、フォークトを生で聴けて良かったです!
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