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ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その15)

最近のお気に入り画像。
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CD15枚目は歌曲集。

  ①牧神と羊飼いの娘Op.2(1905~06/1908初演) [1964.5.8.録音]
    第1曲「羊飼いの娘」 第2曲「牧神」 第3曲「急流」
  ②ヴェルレーヌの2つの詩Op.9(1910/1951改定) [1966.9.26.&1964.12.11録音]
    第1曲「白い月影は」 第2曲「大いなる憂鬱な眠り」
  ③バーリモントの2つの詩(1911/1954改訂) [1967.1.24.録音]
    第1曲「忘れな草、愛のささやき」 第2曲「鳩」
  ④日本の3つの抒情詩(1912~13/1914初演/1943改定) [1968.6.10録音]
    第1曲「赤人」 第2曲「当澄」 第3曲「貫之」
  ⑤3つの小さな歌「わが幼き頃の思い出」(1906頃/1913改訂/1929~30編曲) [1964.12.11録音]
    第1曲「小さなかささぎ」 第2曲「からす」 第3曲「チーチェル・ヤーチェル」
  ⑥プリバウトキ(戯れ歌)(1914/1918初演) [1964.12.11録音]
    第1曲「コルニーロおじさん」 第2曲「ナターシュカ」 第3曲「連隊長」 第4曲「お爺さんとうさぎ」
  ⑦ねこの子守歌(1915~16) [1964.12.1録音]
    第1曲「暖炉の上で」 第2曲「部屋の中」 第3曲「ねんね」 第4曲「猫の飼い主」
  ⑧4つのロシア農民の歌(1914~7/1917初演/1954改訂) [1965.8.2録音]
    「チギサークの救世主教会の前で」「オヴゼン(古代の春の祭り)」「ノヴゴロド川の川かます」「太っちょ」
  ⑨4つの歌(1953~54) [1965.11.30録音]
    第1曲「雄がもの歌」 第2曲「異端派の歌」 第3曲「鵞鳥と白鳥」 第4曲「チーリンボン」
  ⑩シェイクスピアの3つの歌曲(1953/1954初演) [1964.12.14.録音]
    第1曲「汝妙なる調べよ」 第2曲「汝の父は五尋の水底に」 第3曲「まだらのひなぎく」
  ⑪ディラン・トーマスの思い出に(1954/1954初演) [1965.11.27.録音]
  ⑫J.F.ケネディのためのエレジー(1964/1964初演) [1964.12.14.録音]
  ⑬ふくろうと猫(1966/1966初演) [1967.8.18録音]
  ⑭子供のための3つのお話(1915~17)から「チーリンボン」(1923編曲) [1967.1.23./1968.6.10録音]

①マリー・シモンズ(Ms) ②ドナルド・グラム(Br) ③④⑭イヴリン・リアー(Sp) ⑤⑥⑦⑩⑫キャシー・バーベリアン(Ms) ⑧グレッグ・スミス・シンガーズ ⑨⑬アドリエンヌ・アルバート(Ms) ⑪アレクサンダー・ヤング(T)
①CBC交響楽団 ②③④⑤⑥⑦⑭コロンビア交響楽団 ⑨ルイーゼ・ディ・トゥリオ(fl)・ドロシー・レムゼン(hp)・ラウリンド・アルメイダ(gt) ⑩⑪コロンビア室内Ens.
⑫ポール・E・ハウランド、ジャック・クライゼルマン、チャールズ・ルッソ(cl) ⑬ロバート・クラフト(pf)
ストラヴィンスキー指揮、③④⑭はロバート・クラフト指揮による


このシリーズも佳境に入ったというか、とうとう私の最も愛するディスクに到達しました。この様々な編成の伴奏をもつ歌曲達、どれをとっても傑作揃い、何せ一曲一曲が短いので、いずれの作品も「これぞストラヴィンスキーの代表作」とは言えないけれど、私にとってはどれもがかけがえのない作品。天賦の才が迸るのを目の当たりにする思いがします。これは私の信仰告白と受け取ってもらっても良いが、これらの作品を知らないということは何と言う不幸か、とすら思います。私はこのディスクを聴きながら、私のささやかな音楽鑑賞歴でこれらの作品群に出会ったこと、そしてそれを味わうことのできる耳を父母から得たことにただただ感謝するのみです。
たくさんの作品が並んでいますが、大きく分けると、未だ先人達の影響下にあって進むべき道を模索していた頃の作品(①・②)、独自の道を発見し確立していく過程の作品(③~⑨、⑭)、十二音技法を取り入れ生涯の最後に更なる高みに向かっていく時期の作品(⑩~⑬)の3つのカテゴリーに分けることが出来ると思います。これらを通して聴いた時、若書きが晩年の作品より劣っているということはなくて、前にも書いたとおり最初から完成された姿で我々の前に現れ、最後までその洗練されたスタイルを変えなかったことを改めて感じることができます。ちなみに①・③~⑨・⑭がロシア語、②がフランス語、⑩~⑬は英語によって歌われています。

①「牧神と羊飼いの娘」はリムスキー・コルサコフ門下としての卒業作品の一つと思われますが、分厚いオーケストラはどこかワーグナーを思わせるところがあります。メゾソプラノのパートもドラマティックな強さを要求する書法で書かれており、転調の多い旋律もいかにもワーグナー風。たゆたうような半音階的な転調は時に全音音階によって調性がぼかされ、第2曲など表記のハ短調に到達するのは33小節目になってようやく、といった調子。これを習作と片付けるのは簡単ですが、何度も味わえばロシア5人組の伝統とワグネリスムの融合が驚くべき完成度で実現されていることが判るはず。

②「ヴェルレーヌの2つの詩」は1951年の室内オーケストラ版。これも一種の習作といっても良いけれども、すでにリムスキーの頸木から逃れて、ドビュッシーやラヴェルの世界に接近しています。フランス語で歌われていますが、そこはかとなく漂うロシアン・テイストは、ストラヴィンスキーと並び称されるべきもう一人の天才ムソルグスキーの歌曲に通じるところも。

③「バーリモントの2つの詩」は2本のフルート、2本のクラリネット、ピアノと弦楽四重奏のための室内楽伴奏版。ここに至って、祖国ロシアの先人達の世界から完全に脱却した独自の世界が展開されます。ここでは1954年の室内楽版で演奏されていますが、原曲は1911年作曲、ということはシェーンベルクの「ピエロ・リュネール」(1912年)の初演はまだということになりますから、ストラヴィンスキーのアヴァンギャルドぶりがよくわかろうと言うもの。もっとも殆ど無調の域に達している宙づりにされた調性感は、シェーンベルクの「架空庭園の書」(1910)や「心の茂み」(1911)を既にストラヴィンスキーが耳にしていたことを物語っているように思います。もちろん後期のスクリャービンの無調的な書法の影響や、ヴィシュネグラツキーらロシアン・アヴァンギャルドとの関係もあるかも知れません。私はよく知らない領域なので深入りはしませんが・・・。

④「日本の3つの抒情詩」(ソプラノと2本のフルート、2本のクラリネット、ピアノと弦楽四重奏のための)も③と並んでこの時期の作品としては最も急進的な書法で書かれています。「ピエロ・リュネール」の影響もあらわです(ストラヴィンスキーは1912年12月のベルリンでの「ピエロ」の演奏を聴いている)が、以前にも書いたとおり、同時期のラヴェル(「マラルメの3つの詩」)との親近関係が顕著に見て取れます。正に時代の最先端を突っ走っていた頃の作品ですが、極端に短い時間の中での完成度の高さはウェーベルンに譬えることもできそうです。

⑤から⑨に掛けての一連の歌曲はいずれもロシアの民謡もしくはわらべうたを、これまた急進的な伴奏に乗せて歌うという趣向の作品群。いずれも室内楽の伴奏付ですが、⑦の3本のクラリネット(B管・Es管とBのバスクラ)のほの暗い音色や、⑨のフルート・ハープ・ギターの組合せによる奇天烈な音響は天才的な着想。どの作品も無類の楽しさと活力に溢れていて、土俗的な力強さと同時に、聴き手の知性に強烈に訴えかける傑作ぞろい。民謡素材が最も生な形で生かされているのは「4つのロシア農民」の歌だろうと思いますが、1954年改訂版に附加された4本のホルン伴奏は「アゴン」を書きあげた作曲家の会心の作という気がします。この生の素材と現代的なイディオムとの結合はバルトークにも無いものかも知れません。こういった路線ではなぜか日本では(欧米もそうかも知れませんが)バルトークが非常に高く評価されるのに反して、ストラヴィンスキーは不当に低く評価される傾向があるように思いますが、虚心に耳を傾ければいずれも偉大な仕事を成し遂げた人達であることが判ると思います。⑨だけ作曲年代が離れていますが、1915~19年の歌曲の編曲ですので、⑤~⑧と同じカテゴリーと言えます。CDにはテキストが添付されていないので内容がよく判らないものもありますが、例えば「プリバウトキ」の第4曲「お爺さんとうさぎ」はこんな感じ。
 
  さびれた町のまんなかに、
  ちいさな茂みがありました。
  そこに座ったじいさんが、
  たまねぎスープを作っていると、 
  すがめのうさぎがやってきて、
  スープがほしいと言いました。
  そこでじいさん命じると、 
  足無し走って腕なしつかみ、
  服なしシャツにいれたとさ。

Dover社のスコアに載っていた英訳からの拙訳ですが、それにしても詩の翻訳は難しい。谷川俊太郎など、本物の詩人の仕事の凄さが身に沁みて判ります。いわゆるナンセンスな言葉遊びですね。

⑩の「シェイクスピアの3つの歌」は晩年のストラヴィンスキーが十二音技法を取り入れてからの作品。もっとも厳密な音列技法ではなく、多分に調性感を残した独特の技法で書かれています。テキストは第1曲が1609年のソネット集の第8篇、第2曲は「テンペスト」のエアリエルの歌(ヴォーン・ウィリアムスもこれに作曲している)、第3曲は「恋の骨折り損」から採られています。この辺りから本当に最晩年の作品が続きますが、かつてのaridな作風から転じて深い抒情性に傾倒していくような気がします。そこに幾ばくかのシニシズムとペシミズムが感じられ、単なる好々爺ではない真の知性に溢れた巨人の音楽を聴くことができます。この素晴らしさを私の貧しい語彙でどう表現したものか、今少しずつ読んでいるJoseph N. Straus の”Stravinsky's Late Music”(Cambridge University Press)にはそれぞれ詳細な分析が載っていますが、ここにそれらを紹介するのは諦めざるを得ません。いずれ改めて紹介する機会もあるでしょう。
⑪と⑫、ストラヴィンスキーはえらく長生きしたおかげで、晩年親しい友人達に次々と先立たれ、一連の追悼の音楽が書かれます。ここに挙げたディラン・トーマス、J.F.ケネディの他にも、T.S.エリオット、オルダス・ハックスレー等々。いずれも感傷に流れないという意味で素晴らしい作品群であると思います。ここでも言葉による伝達というものの無力さを痛感します。精緻極まりない書法の分析がそれを補うかも知れませんが、やはり他の機会に譲りたいと思います。
⑬「ふくろうと猫」は恐らくオリジナルの作品としては絶筆ではないかと思います(死の直前にかけて、フーゴー・ヴォルフの歌曲やバッハのコラールの編曲などがありますが・・・)。この骨とわずかな筋肉だけで書かれた簡素な歌、作曲家の行き着いた極北の心象風景は、私には一種のミザントロープ(人間嫌い)の表明のようにも聞こえ、あえかな悲しみを感じずにはおられません。突き放されてしばし呆然とする思いでいると、最後に「チーリンボン」の滅法楽しいオーケストラ伴奏版が賑々しく現れてこの充実したディスクを締めくくります(「火事だ!火事だ!カーンカーン!」ぐらいの意味か)。人はどう思うかいざ知らず、私には聴くたびに音楽の喜びと感動を与えてくれる1枚です。

ストラヴィンスキーの指揮がいかに躍動感に満ちたものであるか今更言うまでもありません。多彩な歌手陣の中ではキャシー・バーベリアンの素晴らしさが頭一つ抜きんでているように思いました。それは上手い下手を遥かに通り越して、作曲者への愛とリスペクト、そして作品への深い理解のなせる技であろうと思います。夫であるルチアーノ・ベリオやジョン・ケージやヘンツェといった人たちがいかに彼女を愛し、多くの作品を捧げたかよく判るような気がします。まさに現代音楽のディーヴァでしょう。イヴリン・リアーはベームが指揮した「ヴォツェック」の記念碑的な録音でマリーを歌っていた人ですね。さすがです。とても懐かしい思いで聴きました。
by nekomatalistener | 2012-04-05 21:51 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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