<< ストラヴィンスキー自作自演集W... 新国立劇場公演 ワーグナー 「... >>

ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その14)

ネットで拾った小咄だけど、これ大好き。
【ブラフ】
「円周率って何桁くらいまで言える?」
「あー、一時期は全部言えたんだけどねぇ。」





CD14枚目はいよいよオペラ編。

 歌劇「夜うぐいす」(1909~14/1914.5.26初演) [1960.12.29-31録音]
    漁師:ローレン・ドリスコル(T)
    うぐいす:レリ・グリスト(S)
    料理人:マリナ・ピカッシ(S)
    侍従:ケネス・スミス(Bs)
    僧侶:ハーバート・ビーティ(Bs)
    支那の皇帝:ドナルド・グラム(Br)
    死神:エレーヌ・ボナッツィ(A)
    日本の使者:スタンリー・コルク(T)、ウィリアム・マーフィー(T)、カール・カイザー(Bs)
    ワシントン・オペラ・ソサエティ管弦楽団・合唱団

 歌劇「マヴラ」(1921~22/1922.6.3初演/1947改訂) [1964.5.7録音]
    パラーシャ:スーザン・ベリンク(S)
    母親:マリー・シモンズ(Ms)
    隣人:パトリシア・ライドアウト(A)
    ヴァシーリィ:スタンリー・コルク(T)
    CBC交響楽団

「マヴラ」から行きましょう。
中流家庭の娘パラーシャと若い軽騎兵ヴァシーリィは愛しあっていたが、パラーシャの母親がメイドを雇いたいというのでヴァシーリィを女装させ、マヴラという名のメイドとして家に引き入れる。最初は母親も隣のやかましい奥さんもマヴラが実は男だと気付かない。しかしパラーシャと母親の外出中にヴァシーリィが髭を剃っていると、戻ってきた二人に見つかってしまい大騒ぎ・・・
プーシキンの原作は読んだことがないのですが、お話は上記のとおりバカバカしいもの。30分にも満たない短いオペラですが、音楽は実に素晴らしい。ストラヴィンスキー自身、「マヴラ」は自らが書いた作品の中でもベストのものであると述べているそうですが、残念ながら一般的な人気は全く無いと言ってよいでしょう。音源も少なくて、斯く言う私も全曲盤を聴いたのはティエリー・フィッシャーのCDでつい数年前のことです。オペラの冒頭に出てくる「パラーシャの歌」だけは、ブーレーズが手兵アンサンブル・アンテルコンタンポランと録音したストラヴィンスキー歌曲集のLPの中に入っていて、学生の頃から愛聴しておりましたが・・・。チャイコフスキーやグリンカを思わせる旋律はロシアの憂愁をたっぷりと含んでいますが、これが簡素な編成の乾いたオーケストラに乗せて歌われる。この伴奏の、ストラヴィンスキー独特の一見調子外れのようでいて実は選び抜かれた和声は、耳が慣れてくると癖になります。ここでは土俗的なものと洗練されたもの、あるいはロシア的なるものと地中海的なるもの、といった本来両立しないはずのものが両立している。この独特さというのはちょっと他に類似するものが思いつかないほどです。
歌っている歌手たちは可もなく不可もないといったレベル。パラーシャはコロラトゥーラが相当歌える歌手でないと少ししんどい感じがする。指揮はこの作品に相応しい楷書のような演奏ですが、先に挙げたブーレーズの「パラーシャの歌」が素晴らしく、それと比べると若干重たく感じる。ブーレーズ先生には是非御存命の間に全曲盤を録音してほしい(笑)。
それにしても、ブログなどで取り上げられることも殆どないというのに、大して聴きもしないで「つまらん」と斬り捨てるような言説を見ると悲しくなってしまいますが、これが意外に世評というものの源流になっていたりする。こうした無知や思い込みの類は多くの人が実演に接することでしか無くならないと思う。登場人物も少なく、オーケストラも小編成、「きつね」や「結婚」と比べると演奏者の技巧的な負担もかなり少ないと思われますので、もっと実演の機会がないものか、と切に思います。

次に「夜うぐいす」。
支那の皇帝はうぐいすの歌を愛でて宮廷に招き入れるが、折しもやってきた日本の使節団が献上した機械仕掛けのうぐいすの方に夢中になり、生身のうぐいすは去ってしまう。その後、皇帝は死病に取り憑かれ、うぐいすの歌を聴きたいと願うが、機械仕掛けのほうは壊れている。そこにうぐいすが戻ってきて、死神は去り、皇帝は快癒する・・・というお話。サヨナキドリというのが生物学上の呼び名のようですが、馴染みがないので「うぐいす」としておきました。
アンデルセンの童話によるこの45分ほどの短いオペラは、第2幕と第3幕の素材をもとに書かれた交響詩「うぐいすの歌」が比較的よく知られており、オペラとしても「マヴラ」よりは上演の機会、あるいは音源など多いようです。
ストラヴィンスキーがまだリムスキー・コルサコフの影響下にあった1907年に書かれ始めて、一旦中断の後1913年から作曲を再開しますが、その間にいわゆる3大バレエを含む作曲様式の長足の進歩があった為に気乗りがしないまま作曲を続けたということです。その結果、作品の始まりと中ほど以降の部分の音楽的スタイルが全く異なるという、シェーンベルクの「グレの歌」と同じ現象が起こっています。
その第1幕はドビュッシーの「雲」に似た前奏に抒情的な漁師の歌とうぐいすの歌が続く。同時期の「火の鳥」よりもっとリムスキー風ですが、その抒情性はなかなか魅力的。第2幕以降はすっかり「春の祭典」を書いた人ならではの音楽になっていて珍無類の味わいです。支那の行進曲はステロタイプな五音音階なのに対して、日本の使節団の重唱はけったいな平行五度の国籍不明音楽(笑)。但し、その行進曲はただのペンタトニックの面白さだけではなくて、目が眩むようなリズムの饗宴に彩られているところが聴きものです。3管編成のオーケストラは初期のストラヴィンスキーとしては特に大編成という訳ではないけれど、まるで新ウィーン学派に倣ったかのようにギターやマンドリンが入っていて、「きつね」におけるツィンバロンの採用と同じく前衛的な響きを醸し出す。にぎやかな大編成の部分も音響としては面白いけれど、特に第3幕の宮廷に戻ってきたうぐいすの歌うところ、ほとんど点描様式といってもよいくらいの繊細な室内楽的書法がこのオペラをただの若書きと捨てられない要因の一つとなっています。
歌手ではレリ・グリストがさすが。コロラトゥーラの歌える高いソプラノの役ですが、テクニックが完璧なだけでなく、文字通り生き物の暖かさが感じられる声です。漁師や皇帝など他の歌手も総じて優れています。ストラヴィンスキーの指揮も3大バレエ同様、作曲家の余技のレベルを遥かに超えるもので、特に第2幕冒頭のリズムの炸裂は素晴らしい表現です。

うぐいすに関して余談その1。先日の新国立劇場研修生公演で、ラヴェルとツェムリンスキーの短いオペラの二本立てを観ましたが、音楽的な相性の良さから言えばラヴェルと合わせるべきはストラヴィンスキーだったのかも知れませんね。
余談その2。リヨンのエクサン・プロヴァンス音楽祭2010の大野和士指揮の「うぐいす」の舞台は凄かったと評判。NHK-BSでもやったらしいが観そびれてしまいました。
by nekomatalistener | 2012-03-25 16:34 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
<< ストラヴィンスキー自作自演集W... 新国立劇場公演 ワーグナー 「... >>