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新国立劇場公演 ワーグナー 「さまよえるオランダ人」

取り押さえられたネコ(一応先日の大分合同新聞ネタの続き)。
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「さまよえるオランダ人」の舞台を観て来ました。

  2012年3月17日
     ダーラント: ディオゲネス・ランデス
     ゼンタ: ジェニファー・ウィルソン
     エリック: トミスラフ・ムツェック
     マリー: 竹本 節子
     舵手: 望月 哲也
     オランダ人: エフゲニー・ニキティン
     指揮: トマーシュ・ネトピル
     演出: マティアス・フォン・シュテークマン
     合唱指揮: 三澤 洋史
     合唱: 新国立劇場合唱団
     管弦楽: 東京交響楽団

これを書く前にちらっと幾つかのブログを覘いてみましたが、特にシュテークマンの演出が評判が悪いですね。私はそんなに酷い演出ではないと思いました。ほどほどに保守的・・・というと否定的なニュアンスになりますが、妙ちきりんな読替えよりはマシ。最後にゼンタがオランダ船に乗り込んで、オランダ人が陸に取り残される、というのは、えっ?と思いますが、先日の拙論に書いたように端からオランダ人の救済なんてものを信用していない人間からすればどっちが陸に残ろうが大したことではない・・・と、ちょっと暴論すぎますね。もう少し正確に言うと、最後の演出は意外なくらい違和感がなかった、と言っておきましょう。というのも、結局は「救済」なるものはゼンタの独りよがりであってオランダ人は実は救済されない(メタレベルでは救済を望んでいない)という結論は変わらないから、ということであると思います。
演出の主眼である、スペクタクルをどう見せるか、という点については、第一幕のオランダ船出現の場面の不気味さは、簡素なセットだけれど効果的でした。しかしながら最大の問題は第三幕のオランダ船の亡霊の合唱。これがPAで興醒めなことこの上ない。PAを全否定するつもりはありません。第一幕はオランダ船の出番が少ない分あまり気になりませんでしたし、他のオペラなら、例えば「サロメ」で地下牢からヨカナーンが歌うところなど今どきPA無しではちょっと考えられないでしょう。しかし、オランダ人の第三幕の合唱をPAで処理するというのは演出家の発想の貧困以外の何ものでもないんじゃないか?ここは多少無理してでも生歌を聞かせるべきだったと思います。生きている船乗りの合唱のほうがあまりに素晴らしかっただけに残念でした。
登場人物の動かし方についても、私はゼンタやオランダ人のこの世の者とも思われない動きと、ダーラントやエリック、舵手などの日常的とも言える動きの対比がそれなりに筋が通っていると思いました。船乗りや娘たち群衆の動きはまぁこんなもんでしょう。こんなことをいちいち書くのも、こういった一人ひとりの動かし方についても随分と手厳しい批評があるから。ワーグナー以外だとそうでもないんですがね。いまやワーグナーの楽劇は、演出も何でもあり、批評もなんでもあり、ましてや素人は言ったもん勝ち、ということか。要するに、何か一言云いたい手合いにはぴったりの素材というわけです。私自身は、基本的にあまり音楽を邪魔しない演出だったので安心したといったところでした。
歌手については、ゼンタのジェニファー・ウィルソンが素晴らしい。ワーグナーのソプラノはこうでなくちゃ。稀に見る理想的なワーグナー歌いでしょうね。ブログで、動きが緩慢、とか、若い娘に見えない、とか皆さん散々書いておられますが、もうすこし大人になろうよ(笑)。歌舞伎だって黒子が現実にいるはずないとか、女形は実は男だ、なんてことふつう考えないだろ。ワーグナーの音楽を愛するということは、それを歌うに相応しい歌手の体格の問題も受け入れるということ。ウィルソンの体格について云々する人達というのは、私にはワーグナーに対する愛と理解とリスペクトが足りないという風に見えます。この歌手、そろそろこのあたりが声量的にレッドゾーンかな、と思っていたらそこから先さらに声量が増していき、しかもその増え方が凄まじく、一瞬も揺れたり割れたりしない。なんとか彼女の声が衰える前に、彼女の歌うブリュンヒルデを聴いてみたいものです。たぶん鳥肌がたつんじゃないかな。
歌手で次に良かったのは、脇役ですが舵手を歌う望月哲也。昨年の「サロメ」のナラボートの時も感心した歌手ですが、上手い下手という以上に、役柄のキャラクターを正確に表現し、聴き手に伝える能力において、ずばぬけた力量を持った歌手だと思います。この舵手の役というのは、それこそホモソーシャル代表の脳ミソ筋肉みたいな野郎なんだが、その愛すべき馬鹿さ加減まで表現し得ていました。
前評判の高かったオランダ人のエフゲニー・ニキティンは少し期待外れかな。声量はあるし、声質は深く、しかも舞台栄えのする偉丈夫なんですが、ところどころ音程が微妙に振れる。それもあがったりぶら下がったり、一貫しないので、どうも聴き手からすれば乗り切れない感じがする。もしかしたら他の日に比べて体調面で万全ではなかったのかも。むしろエリックのトミスラフ・ムツェックのほうが安心して聴けた感じがします。役柄としてもやや軽目のせいもあるけれど、若さもひたむきさもあって良かったですね。ダーラントのディオゲネス・ランデスですが、エリック同様そこそこ歌えていれば「我ら凡人」の代表としての役柄は充分に全うしているとも言える。しかし、それだけでは済まない重厚極まりない歌をワーグナーはダーラントに与えたわけで、それに相応しい声か、と言えば物足りないといわざるを得ない。辛い評価かも知れませんがダーラントが充実していれば、男声だけの第一幕はもっと(ワグネリアンでない人達にも)面白くなるだろうと思います。もっとも私が聴いたのと別の公演では不調で途中降板したと言いますから、やはり体調が万全でなかったのかも知れません。
今回の公演で何といっても印象に残るのは三澤洋史率いる船乗りの男声合唱の凄まじさ。新国立の合唱の素晴らしさは過去に何度か触れましたが、今回の合唱は世界のオペラハウスでもそんなに聴けないレベルじゃないのかな。それだけに、繰り返しになるけれどPAの使用が残念。
トマーシュ・ネトピル指揮する東京交響楽団、前奏曲ではすこし音が薄い、というかもっと音圧がほしいと感じましたが、劇が始まると全く気にならなくなりました。どうも私は、歌手に対する期待値よりオケに対する期待値のほうが若干低いせいもあるかも知れませんが、これぐらいやってくれたら言うことないと思う。むしろこれだけのレベルの演奏聴いて不満をいう人って一体なんなの?と思ってしまう。ただ、確かに音の薄さというのはどうしようもなくて、ところどころウェーバーみたいに聞こえるというのは否めない。それ自体はマイナスでもなんでもなくて、事実この若書きのオペラはウェーバーどころかイタリアオペラみたいなページまであるのである。それが第一幕のダーラントの出帆の場面、明るい男声の二重唱が高揚の果てに沸点を迎え、ト調長の属音の和音で終始すると見せかけてから突然のヘ長調の属七への遥かなる飛躍、これこそワーグナーをワーグナーたらしめるもの、この飛躍こそワーグナーの天才を証するものです。ワーグナーが単なるロマンティック・オペラの作曲家に留まらず、現代にまでまっすぐ繋がる音楽の始祖となった訳は、なにも「トリスタン和音」の発明だけではないのです。その、ウェーバーの後継者たる位置と後期ロマン派の入り口の両方を耳に感じさせてくれたのは今回のオーケストラの大きな功績だと思う。
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ちなみに前奏曲はいわゆる「救済のテーマ」のないバージョンですが、第三幕は「救済」ありのバージョンであまり一貫性がない。音楽的には「救済あり」のほうが満腹感があるね(笑)。休憩は第一幕の後に1回のみ。幕間なしバージョンはちょっときついだろうから、これは妥当。
(この項終わり)
by nekomatalistener | 2012-03-20 00:17 | 演奏会レビュー | Comments(0)
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