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ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その4)

会社の親睦会でシルク・ド・ソレイユのZEDを鑑賞。もうぽか~んと口あけて観てるしか仕方ない。でも、赤い民族衣装みたいなの着て棒やら縄やら持って踊る中国人の若い子が、親睦会の幹事クンに似てて、もう気になって気になって仕方がない。終わってから多分10人くらいに「・・・クン、あの赤い服の子に似てへん?」と同意を強要。





自作自演4枚目はこれまたバレエの為の、作曲年代もオーケストラの編成も様々な三作品。

 バレエ「ミューズの神を率いるアポロ」(1927~28/1928初演/1947改訂) [1964.6.29録音]
    コロンビア交響楽団 
 バレエ「アゴン(Agon)」(1953~57/1957初演) [1957.6.18録音]
    ロサンゼルス祝祭交響楽団
 バレエ「カルタ遊び」(1936/1937初演) [1964.3.13録音]
    クリーヴランド管弦楽団

私はここで「アゴン」についてお話できることがうれしくて仕方ありません。まずは突然ですが、下記のyoutubeを見てほしい。
http://www.youtube.com/watch?v=gpiBlf4249o
youtubeみたいな、いつ削除されるか判らないURLをブログに張り付けるのは出来ればしたくないのだけれど、音楽そのものを言葉で伝えるのが難しい以上仕方ありません。たかしまあきひこ氏作曲の聴けば誰でもすぐ「ああ、あれ・・・」と判るニュースのオープニングの音楽。1984年4月から1998年3月まで、産経テレニュースのオープニングに流れていたものです(今でも地方によってはFNNニュースのOPでやっている)。これって凄く「かっこいい」音楽だと私は思いますが、こういった音楽の源流をずーっと辿っていくと「アゴン」の冒頭とコーダの音楽に行きつくような気がするのです。戦後間もない頃の黛敏郎の作品などにはストラヴィンスキーの影響が顕著ですが、その系統の水脈がいろんな人達に伝わったのだろうな、と想像しています。
それにしても「アゴン」の冒頭のブラスのファンファーレ、いや、これに限らず「新しい劇場のためのファンファーレ」とか「管楽器のための交響曲」とかもそうだけど、まず「都会的」とか「洗練」という言葉が浮かびます。同じ系統のブラスの使い方はバルトークにも見られるけれど、ストラヴィンスキーの現代にまっすぐ通じている、今も少しも古びないブラスの使い方はもっと高く評価されてしかるべきじゃないか。なのにこの「アゴン」、LP時代も含めて実に録音が少ない。もう、どうして?って歯ぎしりしたくなる。私がこうやって馬鹿みたいにストラヴィンスキーについて書き続けているのはもっとこういった作品を多くの人に聴いてほしいから。「アゴン」に関して、無調だの十二音技法だのといった言葉にビビってしまう人が多いのは実に残念。今やニュースや映画音楽やCMなんかに満ち満ちている音楽の、一つの源流だと思うのですが。

もう少しだけ「アゴン」について。別にジョージ・バランシンとニューヨーク・シティ・バレエ団のために書いたから、という訳ではなくて本当に都会的な、ニューヨークの摩天楼が似合う音楽。クールでしかもいくらかスノビッシュなところもあるニューヨーカー達のための音楽という気がしてなりません。それがウェーベルンに倣ったドデカフォニックな部分と接続される。それは混合でも融合でもなく、接ぎ木による異化効果です。ウェーベルンの影響あるいはオマージュはあちこちに見られてちょっとほほえましい感じも。マンドリンの繊細なトレモロはウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品Op.10」、最初のパ・ド・トロワのコーダは「ヴァイオリン・クラリネット・アルトサクソフォンとピアノのための四重奏曲Op.22」、二番目のパ・ド・トロワ、パ・ド・ドゥー後半は「管弦楽のための変奏曲Op.30」をお手本としているかのようです。
この自作自演も実に素敵な演奏ですが、昔のハンス・ロスバウトの録音は凄かったと記憶しています。たしかアルバン・ベルクの「管弦楽のための3つの小品Op.6」とウェーベルンの「管弦楽のための6つの小品Op.6」とのカップリング。いわゆる現代音楽を得意としたロスバウトならでは、のかっこよさ。本当にクールなストラヴィンスキーでした。思い起こせば私がストラヴィンスキーの真の魅力に開眼したのはこのロスバウトの「アゴン」を聴いてからのような気もします。
それと、バレエの為の音楽というけれどチュチュを着たバレエではなく、限りなくモダンバレエ、あるいはコンテンポラリーダンスに近いものであったようです。抽象的な肉体の運動だけで成り立った舞台を想像します。機会があれば舞台で観たいものです。さぞかしストラヴィンスキーの面目躍如という感じの、このシニフィアンの連鎖のような音楽とよくマッチすることでしょう。以前投稿した「兵士の物語」ではpolytonalとpseudo-tonalとの対置という切り口で分析を試みましたが、ついに「アゴン」に至って、その二つの対比軸だけでなく、ディアトニックとドデカフォニックという対立軸さえ一つの結晶体に収斂されてしまったかのようです。

次に「ミューズの神を率いるアポロ」、非常に玄人向けの音楽と言う気がします。ストラヴィンスキー独特の和声とリズムの古典的規範からの逸脱が、ロマンティック・バレエに接ぎ木されて異化効果をもたらす。それもこれみよがしでなく、判る人にだけ判ればよい、という感じに。
昔、まだ大学に入ったばかりの頃にカラヤンのLPを買って聴いた頃はまったくこの美しさが判らなかった。それは恐らく若かりし頃の私だけでないはず。このあたりからストラヴィンスキーの中期はつまんない、という意見が出てくる、それはとてもよく判るような気がします。カラヤン盤は今はもう手元にないので確認できませんが、どうも美しくヤスリをかけ過ぎて、接ぎ木の継ぎ目が見えなくなってるんじゃないかな。そりゃ面白くないって。自作自演盤はそのあたりをしっかり聴かせてくれます。聴きこむほどに美しくも、どこか空虚というか、精神性とかいった詰め物がわざと注意深く排除されているような音楽。

「カルタ遊び」、第二部におけるマーラーの交響曲の引用、マーラーのいかにも後期ロマン派風の軋むような和音がひしゃげたような響きに変えられているのがご愛敬。第三部のロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の引用は聴けば誰にでもすぐに判ります。この「本歌取り」の手法、他にもっといろいろあるような気がします。私は詳しくないのでよく判りませんが、例えばプロコフィエフとか・・・。なんだか手癖で書き流しているようなところもあってちょっと霊感が足りないような気もするし、演奏次第でもう少し面白くなるような気もする。バレエの舞台を見ずに音だけ聴いている限界か。でも、ある種の「緩さ」がいかにもバレエ音楽なんだなぁ。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2011-11-18 22:52 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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