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ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その1)

葬儀の席にて。斎場の司会のお姉さん、やけに目張りが濃いなぁと思っていたら、隣の人がぼそっと「エジプトのミイラ・・・」と呟いた。悶絶して死ぬかと思った(でもよく考えるとミイラじゃなくて、クレオパトラ(の目張り)とか言いたかったんだと思う)。





以前予告した通り、これから暫らく、表題の記念碑的CD(SONY CLASSICS)について紹介していこうと思います。CD22枚組ですから恐らく22回シリーズ。このブログを開設してから今まで、一つの作品についてどちらかと言えば狭く深く、可能な限りスコアの分析なども交えながら思うところ感ずるところを書いてきましたが、これからCD22枚分の音楽でそれをやろうとすると息切れしてしまうでしょうし、第一スコアも大して持っておりません。ですからこのシリーズについてはなるべくさらっと、感想文みたいなレベルで、でも読んでいただいた人に「ああこれ聴いてみたい」と思ってもらえるような記述を心がけて書いていきたいと思います。

 CD1
 バレエ「火の鳥」(1909~10/1910初演) [1961.1.23-25録音]
 ロシア風スケルツォ(1943~44) [1963.12.17録音]
 幻想的スケルツォOp.3(1907~08/1909初演/1930改訂) [1962.12.1録音]* 
 幻想曲「花火」Op.4(1908/1908初演) [1963.12.17録音]
 作曲者指揮/CBC交響楽団*・コロンビア交響楽団

一体誰が言い出したのやら、世間では「ストラヴィンスキーの指揮というのはものすごく無骨らしい」とかいった俗説がけっこう信じられているばかりか、タワレコのPOPにも「作曲家のぶっきらぼうな指揮」などと書いてあって、売る気あるのかと思ってしまう。私も作曲家の自作自演なんてまぁそんなもんだろうと思って買うのを少し躊躇ってましたし、コロンビアSOというのも(私がオケを良く知らないだけかも知れませんが)なんとなくニ流感ただようところです。しかし実際に聴いてみて驚きました。作曲者はおそらくリムスキー・コルサコフの弟子の頃から指揮法もちゃんと学んだのだろうと思いますが、まったく余技という感じがしません。むしろ自作自演でこれだけやられてしまったら後世の指揮者は本当に困ったと思いますよ。コロンビアSOのメンバーのヴィルトゥオーゾぶりも大したもんです(wikipediaによればコロンビアSOは録音用の臨時編成もしくは覆面オケで、その実態はニューヨークフィルのメンバーだったりするそうですね)。
それにしてもよくこんな企画が通ったもんだと思います。いくら自作自演といっても3大バレエ以外は(当時も今も)まるで一般受けしそうにないですしね。その頃コロムビア社の内部でどういった経営判断がなされたのか判りませんが、もうこれは崇高な使命感、というべきものだったのでしょう。

まず「火の鳥」。よく話題になる版の問題ですが、私はもともと詳しくないですしスコアも持っていないのでどこがどうとか言えません。私の理解では何種類もある組曲版と違い、全曲版は1910年の初演版しかないと思うのですが、それもよくわかりません。しかしそんなことより、人生の終わりに差し掛かった作曲者が50年も前に作曲した作品を振っているのですから、これこそ最終稿の響きだというだけで十分なのではないでしょうか。
演奏は全体的にはギトギトした4管編成の響きを生かした凄まじい迫力のもの。こういう演奏が本人の指揮で出てくると、バルトークらがどんなに影響を受けたかということが知識としてではなく感覚として良く判ります(バルトークが少し後に書いた「中国の不思議な役人」にははっきりと「火の鳥」の影響が刻印されています)。しかも単に迫力があるというだけでなく、「火の鳥の嘆願」では少しざらっとした弦の響きによって、むせかえるような異教的な雰囲気が醸し出されていますし、「王女たちのロンド」の、ネルの手触りのような、鼻にかかった弦楽器によるノスタルジックな表現も素晴らしい。作曲者の頭の中にこういうテクスチュアがあって、それを克明に記譜し、指揮して的確にリアライズする能力の高さに圧倒される思いです。
「魔法のカリヨン、カスチェイの番兵の怪物たちの登場」は本当に天才ならではの筆致です。この部分を例えばブーレーズ/シカゴSOの演奏で聴くと、エスタブリッシュメントというか、すっかり古典となった音楽に聞こえますが、作曲家の指揮では面白いことに今生まれたばかりの前衛的な現代音楽という風に聞こえます。ここから「カスチェイ一党の凶悪な踊り」まで、演奏も録音も凄いですね。録音に携わった技術者達もコロムビア社の威信にかけて、という感じだったのでしょう。「石にされていた騎士たちの復活、大団円」も凶暴なブラスの凄まじさにぞくぞくします。
もう一つ特筆すべきことは、全曲版に多かれ少なかれ付きまとう冗長感(それはバレエという視覚的要素がないせいかも知れません)が、この演奏では殆ど感じられなかったということです。それほど迷いがなく、勢いに満ちた演奏。おかげで却ってバレエという形態で観てみたいと痛切に思った次第です。この国では仕方ないことですが、「火の鳥」がどんなに有名曲であっても、それをバレエで観た人は殆どいないと思います。しかし、そういった受容の形態はやはり歪というべきでしょうね。

次のロシア風スケルツォ、これだけ作曲年代が離れているけれどあまり違和感がありません。「火の鳥」が若書きとして見劣りする訳でもなければ、このスケルツォが円熟の境地という訳でもない。もともと映画音楽として委嘱されたとのことですが、いずれにしてもオーケストラのアンコールピースとしてはとても気が利いていて、おしゃれでしかも知的。主題がペトルーシュカの一節にちょっと似ているのも面白いですが、ピアノとハープをフィーチャーしたトリオの、和声のお約束の破り方がすっとぼけた感じで何ともユーモラス。何時ものことながら洗練の極みのような小品です。ふと、ストラヴィンスキーという人、こういうところが器用すぎて損をするタイプなのかも、と思いました(委嘱されると、簡単にちゃちゃっと書けてしまって軽く見られる、みたいな)。

「幻想的スケルツォ」と「花火」、些か同工異曲という感じですが、いずれも作曲の経緯はwikipediaを見て頂くとして、実質的にはリムスキー・コルサコフ門下としての卒業作品だろうと思います。こういった作品を聴くにつけ、私には彼の先行者に対する知識がすっぽりと抜け落ちていることを痛感します。具体的にはリムスキー・コルサコフの他に、もしかしたらボロディンも。リムスキーはシェエラザードしか知りませんし、ボロディンに至ってはイメージさえ湧きません。
それはともかく、極彩色のオーケストレーションには若書きの稚拙さは微塵もありませんが、聴いて楽しいかと訊かれたら微妙なところも。「花火」はストラヴィンスキーには珍しいくらいの描写的な部分もあって、ディズニーの「ファンタジア」みたいに脳裏に花火が明滅するのが煩わしい。これもブーレーズの演奏だと、スコアのディティールの精密なリアリゼーションに重心を置くあまり、鈍重で野暮ったい感じがしてならないのですが、作曲家の指揮は意外なほど現代的、都会的。指揮者として、自分の若き日の作品達を完全に客観視し得ていることの表れだろうと思います。

以下、こんな感じで書き進めていきます。万人に薦められるCDではないことは重々承知してますが、ストラヴィンスキーといえば3大バレエしか知らないというのは(実際にそういう人多いと思うのだけれど)何としてももったいないと思うので、他の曲も聴いてみるきっかけになれば素敵なことだと思います。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2011-11-02 23:22 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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