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ドヴォルザーク 「ルサルカ」 ノイマン/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(その3)

「大魔神怒る」を「だいまじんおこる」と読むとなぜか脱力する。




今回と次回、全3幕の音楽を一通りなぞりながら、もう少し「ルサルカ」を構成する音楽的要素について考えてみます。
第1幕。序曲Andante sostenuto(ハ短調)は和声の半音階的な移ろいが美しい名曲だと思います。ここには彼がこれまで学んできたドイツ流の手堅いオーケストレーションと、独特と言ってよい抒情が結合されています。変ホ長調に転調すると、ホルンとイングリッシュホルンによる狩人の歌が現れます。ワーグナー風の森の情景描写、鳥の声、円熟した書法ですが、ボヘミアの森から何時の間にかドイツの森に来たような気がするのがご愛敬。
イ短調Allegro moltoの導入の後、イ長調に転じて森の精と木霊の合唱が始まります。イ短調の間奏はドヴォルザーク独特の泥臭いもので、太鼓にシンバル、トライアングルも入って派手に繰り広げられますが、交響曲の一節なら恥ずかしくていたたまれないような音楽も、オペラであれば辟易はするがなんとか我慢できるというもの。合唱と間奏が繰り返され、嬰ハ長調に転じた後、もう一度合唱と間奏。全体に後期ロマン派というにはあまりに素朴でおとぎ話的というよりは子供っぽい感じがします。
次いでへ長調に転調し、水の精登場。ここからしばらく森の精との対話が続きます。変ホ長調のハープのカデンツァと共にルサルカが登場し、転調の多いワーグナー風の水の精とのやりとりの後、へ長調Moderato ma un poco più mosso のルサルカの美しいアリオーゾ Sem často příchází a v objetí mé stoupá。ここにはワーグナーの影はなく、これが真正なドヴォルザークの持ち味ではないかと思わせられます。さらに水の精とのやり取りの後、変ト長調の例の月に寄せる歌、水の精の嘆き、ルサルカの魔法使いイェジババへの呼びかけと続いていきます。
イェジババ登場の後のルサルカとの対話はまたもやワーグナー風の調性の不安定なものですが、嬰へ短調AndanteのルサルカのアリオーゾStaletá moudrost tvá všechno ví は音楽と言葉が一体となって、オリジナリティに裏打ちされた感動的な頁で素晴らしい。それに続くルサルカのレチタティーヴォ風のRusalky za noci hrozbou svou strašíš も素晴らしい。このような朗唱風の部分だけで全曲が構成されていたとしたら、このオペラ、20世紀の偉大な作品達の先駆的存在、例えばドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」のような存在になり得ていたのではないかとさえ思わせられます。それがあっという間に終わってしまうのがなんとも惜しいのですが。
イェジババとの対話の後、二短調の間奏となりますが、序曲冒頭の旋律が若干モディファイされると、マーラーの6番交響曲の一節が突如鳴りだしたような錯覚を覚えます。いや、これ錯覚ではなくマーラが引用したのではないのか?ドヴォルザークが1904年5月に死んだ正にその年の夏に、この「悲劇的」というタイトルの付いた交響曲が書かれています。偶然というには符徴が合いすぎますね。
この間奏の後、イェジババの呪文の歌Čury mury fuk(Allegro vivo ロ短調)が歌われます。前半は子供っぽくてあまり面白いとも思いませんが、後半のレントラーは狩のホルンが遠くで鳴り響き、まるでマーラーの「子供の不思議な角笛」を思わせます。ルサルカを書いていた1900年当時、ドヴォルザークは1886年作曲の「角笛」を知っていたのでしょうか?マーラーがルサルカの存在を知っていたのははっきりしているようですが。引用したりされたり、が本当であれば実に興味深い話です。
水の精の嘆きが繰り返された後、Andante変ホ長調の狩人の歌、Meno mossoの王子の口上。二長調Andante con moto の王子のアリアVidino divná, přesladká から独自の抒情の世界に入っていきます。水の精の娘たちの叫び、水の精の嘆き、そして最後変イ長調Andante sostenutoで王子のアリアVím, že jsi kouzlo, které mine、もはや誰のエピゴーネンでもない、ドヴォルザークの真実の音楽が高らかに歌われ、幕を閉じます。

結論めいた事を書くと、全曲の中でもこの第1幕がもっとも音楽として充実しているように思いますが、いままで詳細に見てきたとおり、ここにはワーグナーの顕著な影響、メルヘンオペラとしても些か素朴すぎる音楽、仮説レベルではありますがマーラーの角笛の遠いこだま、かつてのトレードマークであった泥臭い旋律、そして私が円熟期のドヴォルザークの本当にオーセンティックな音楽と考えているもの、これらの様々な要素が今一つ溶け合わずに並置されているような感じがします。私はルサルカを聞き始めた当初、この様式の不統一感はこの作品の弱点であって、一言でいえば「惜しい作品」だと思いましたが、何度も聴いているうちにこれはこれでひとつの魅力ではないか、と思うようになってきています。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2011-09-29 23:39 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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